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なんちゃってイタリアン 2018年10月17日 料(洋) トラックバック:0コメント:12

抹茶パスタ。

南亭の昼はほとんど、蕎麦か素麺・饂飩です。
たまにラーメンを作ることもありますが。

そんな南亭が珍しく昼のパスタ。
昔はスパゲッテと言うてましたなー。
「昼は、スパゲッテ食いに行かんか」なんてね。

そもそもが、生まれて初めてのスパゲッテは名古屋でした。
なるほろ・・・これがスパゲッテかいな。
名古屋に4年いて、すっかりこれがスパゲッテと思っていたのです。

しかし!東京本社に戻ってきてびっくりしたのは、
スパゲッテとは言わず《パスタ》。
「君い、パスタ食べに行かないか」ときたもんです。

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そのパスタはスパゲッテには違いないのですが、名古屋で食べたものとは異質でありました。
しばらくして気がついたのですが、名古屋のは餡かけスパゲッテの名で知られた地方食でありまして、
甘めのトマトソースにとろみをつけた、中華的発想のヌードルだったのです。

東京の、というより普通のパスタは今でいうところの、ナポリタンでした。
まだパスタ専門の店は少なく、街の洋食屋か喫茶店で出されていたものです。
昭和40年代のことでした。

パスタを自宅で作るようになったのは、ここ十年ほどのこと。
トマトベースのものから、カルボナーラ、なんちゃらかんちゃら・・・
いろんなパスタを作りましたが、これはあまり見たことがないかもしれません。

抹茶パスタというのは冗談。
ほうれん草を使ったソースのパスタです。

茹でたほうれん草半束を細かく切って、小パックの牛乳と一緒にミキサーにかけます。
それとは別にフライパンでオリーブオイルを熱してニンニク、ベーコンを炒めた上から、
ミキサーのスープを加え、コンソメ顆粒、塩、胡椒で味を整えたら、美しいソースの出来上がりです。

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プレートに盛ったパスタにこのソースをたっぷりかけてもいいし、
フライパンのソースの中にパスタを入れて、よく馴染ませてから盛ってもいいし・・・
とにかく見た目も美しければ、濃厚なのにマイルドなソースなので、
パスタがお好きな方は、是非お試しを。



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テーマ:雑記 - ジャンル:小説・文学

大江戸 2018年10月15日 歴史 トラックバック:0コメント:14

1Kの幸せ。

徳川時代の中期には、江戸の人口が100万になり世界第一の都市になったそうです。
100万のうち五割が武家で、五割が商人やその日暮らしの庶民でした。

その半分の商人、庶民の暮らしはどんなものだったのでしょう。
奈良屋、越後屋など豪商と呼ばれる商人の派手な暮らしは別格としても、
表通りで店を張るそこそこの商人も、けっこう贅沢だったようです。

では、日銭で暮らしているような、いわゆる長屋住まいはどうだったのでしょう。
当時、親子三人が、まあまあ食べてゆける生活費は月に約一両。
現在の八万円ほどでした。

零細の行商人でも、日に5千円は稼いだといいますから、
月に半分も働けば、ひと月分の生活費がまかなえることになります。
八万円あれば一日三食のお米はもちろん、ときどきは鮪の刺身をたらふく食べて、
毎日銭湯に行けたといいます。

長屋の住まいは基本、四畳半プラス土間と流しの1K。
若夫婦や親子三人が暮していたようです。
狭いながらも楽しい我が家、といったところですかね。

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この1Kのお家賃が、だいたい6千円。
手習いなどのお教室を開きたければ、六畳・二畳に広い土間が付いた2K。
更には店舗スペースを持つ間取りなど、用途に応じてさまざまなプランがありました。

今の、賃貸住宅の元祖のようなものです。
ただ、いまどきの8万円じゃ、家賃と光熱費で殆ど無くなってしまいますね。
お米を買うだけで精一杯ではないでしょうか。
わたしなど、江戸時代に戻りたいほどです。

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深川

当時の長屋の様子は、天保年間の頃の深川佐賀町を再現した「深川江戸資料館」で実感できます。
清澄庭園の近くですから、深川散策のコースとして是非お薦めしたいです。


テーマ:雑記 - ジャンル:小説・文学

少年時代。 2018年10月13日 雑話 トラックバック:0コメント:12

三半規管。

小学校、中学校と田んぼ道を通学していました。
なので学校の帰りは、田んぼや畑が遊び場でした。

田んぼや畑、そしてその合間を流れる用水は、無数の生き物で溢れていました。
バッタ、カマキリ、トノサマカエル、ゲンゴロウ、タガメはいうに及ばず、
トカゲ、ヘビに至るまで素手で捕まえて持ち帰ったり、
同級生のポケットに突っ込むなど悪ふざけをしていたものです。

そういえばカエルには、こんな面白い遊び・・・
遊びといってはカエルには気の毒なことでしたが。

ある雨上がりの下校時、田んぼ道を横切った雨ガエルを捕まえたのですが、
誰が思いついたのか、逆さに開いたこうもり傘にカエルを入れて、その傘を回し始めたのです。
しばらく回転させてから地面に放すと、カエルはしばらく同じところを円を描いて跳び廻っていました。

カエルも目を回すんだ!すげえ!面白え!!というので、
鼻タレ小僧たちはそれから暫らく「カエル廻し」に夢中でしたが・・・

何年か経った高校生のとき、なにかの授業で《三半規管》というのを習いまして、
「三半規管は平衡感覚を司る器官であり、内耳の前庭につながっているチューブ状の規管である。
頭部の回転が続くと誤った信号を脳へ送ることになり、“目が回る”状態になる。
ヒトを含む脊索動物のほとんどが三半規管を持っている。」


みたいな授業でしたが、鼻タレの頃のカエルを思い出して、
「なるほど!あいつにも三半規管があったのだ・・・」
生まれて初めて授業が頭に入ったのでありました。

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しかし、高校時代も、
授業中は殆どノートに漫画ばかり描いていた、ナンテイでした。


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絵画館 2018年10月11日 美術 トラックバック:0コメント:12

明治150年。
地下鉄外苑前で降りるとすぐに、観光写真でもおなじみの銀杏並木が見えてくる。

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黄葉にはまだまだまだ早かったが。

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並木道の入り口付近には昔から、いかにも青山らしいオープンカフェが並んでいる。

並木道の突き当りが、聖徳記念絵画館である。
青山一丁目に友人が事務所を持っていて、この並木道のカフェは良く訪れていたが、
絵画館に入るのは初めてだった。

この絵画館は、明治天皇と昭憲皇太后の事跡を描いた壁画、80点が展示されている美術館であり、
また、当時の政治・文化・風俗の貴重な歴史資料館でもある。
今年は明治維新から150年ということで、特別企画展が開催されている。

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絵画館は国会議事堂に似た建築様式で、重厚、威厳、畏怖・・・という言葉しか出てこないような建物である。

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見上げるような鉄扉、そのはるか上に広がる天井。
いきなり、圧倒されてしまった。
これ以上は撮影禁止なので内部の造作は、お借りした写真(小さいが)をご覧になっていただきたい。

絵画館

展示してある作品は日本画40点、洋画40点。いずれも高さ2メートル近い大作ばかり。
明治天皇の即位から維新の動乱、そして日清・日露の戦役を経て崩御するまでを描いている。

明治A明治B
明治C明治D

上・左は1868年の即位礼。右は九州に御幸された天皇を案じて、和歌を思念する皇后。
下・左は1890年の帝国議会開院式。右は1909、観菊会に臨まれた皇后。

といったように、年代を追って巨大な壁画がびっしりと並んでいる。
中には幕末の「西郷と勝海舟の会談」や「黄海の海戦」といった、おなじみの歴史画も多く、
歴史好きには驚嘆の「一大資料館」ともいえるだろう。

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絵画館へ入る手前に、建築中の巨大な施設が目に入ってきた。
どうやら2020年オリンピックのメイン会場となる、新国立競技場らしい。
ただ、冷めた気持ちで眺めるのは何故だろう・・・

さて、ランチはどうしようか。
先ほどのオープンカフェに戻れば手っ取り早いが、いかにも青山らしいのが癪である。
で、信濃町駅に向うことにした。

信濃町は一度も降りたことのない駅である。
期待したが食べ物屋といえば、殆ど名の知れたチェーン店ばかり。
やむなく某饂飩チェーンで済まそうと思った矢先だった。

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ビルの地下商店街を見つけたのである。
この地下へいざなうネオン看板の微笑みはどうだ!
こういうところには、絶対美味しい店が多いに違いない。

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何店かある中で、これは!と思ったのがカレー専門の「JUNE」だ。
時代を感じさせるステンドグラス風がいいじゃないか。

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年季の入った木目のカウンター、いいじゃないか!
最近は滅多に食べなくなったカレーライス。

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何の衒いもない、懐かしい顔のカレーライス。
マイルドで味わい深いカレーである。
聞けば昭和42年に開店したという。

添えられたのは、キャベツのピクルスと福神漬け。
常連さんはこれをカレーに混ぜて食べるという。
いじゃないか。


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10月3日 2018年10月09日 音(洋) トラックバック:0コメント:12

アズナブール逝く。

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ILLUSTRATED BY NANTEI

フランスの歌手、シャルル・アズナブールが今月3日、亡くなりました。
94歳でした。
60年代から70年代にかけて、世界的に流行したフレンチポップ。

シルヴィ・バルタン、フランス・ギャル、ミシェル・ポルナレフといった若手歌手に伍して、
渋い歌声で人気だったアズナブール。
先月17、18日と日本公演を行ったばかりのことでした。

私にとっても、いろいろと思い出の多い歌手です。
つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。

最後に、自ら作曲した名曲《LA BOHEME》。
聴いてください。




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