初秋の 2017年09月22日 紀行 トラックバック:0コメント:3

箱根。

友人夫婦と、どこか行こうということになった。
一緒に台湾旅行に行ったのが2年前、その後わが家で遊んだりはしていたが、
旅行に出かけるのは久方ぶりである。

お互い歩けるうちに楽しい思い出を作りましょう、ということで旅のプランはまたまた友人任せ。
メールでいくつか候補地を送ってもらったが、これも選択はお任せ。あははは。
で、決まった行く先は箱根だった。

箱根の温泉に入って美味いものを食べようというのが目的で、あとは成り行きの観光になった。

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芦ノ湖。

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箱根関所跡。

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ラリック美術館。

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奇妙な蕎麦屋。

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仙石原。

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そして圧巻の大涌谷。

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一昨年の噴火以来、硫黄煙の吹き上がりが続き、現在も毒煙に対する用心のためウェットテッシューが配られている。

露天

泊まりは仙石原温泉。
大涌谷からの源泉を引いている数少ない温泉らしい。
(写真は、ホテルのHPよりお借りしました)

とりとめのない箱根観光だったが、旅先で酌み交わす酒は格別であった。
黒玉子
生卵を温泉池でゆでると殻に鉄分が付着する。
これに硫化水素が反応して硫化鉄となり、黒い殻のゆで玉子ができあがる。
中でも大涌谷の「黒玉子」は箱根名物になっている。


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2017年09月20日 歴史 トラックバック:0コメント:20

銭湯の歴史。

私が子供のころは、お風呂のある家なんて聞いたこともなく、
身体を洗うのは行水か、銭湯というのが当たり前だったのです。
社会に出てアパート暮らしになっても、銭湯通いでした。

「神田川」で歌われている、
♪小さな石鹸カタカタ鳴らし♪ の世界でした。

もっとも、
♪二人で行った横丁の風呂屋♪ のような甘酸っぱい記憶は皆無でしたが。

ところで、銭湯または風呂屋はいつ頃出現したのでしょうか。
落語では「浮世風呂」「芝居風呂」「風呂番」など、風呂屋を題材にした噺が少なくありません。
古典落語というのは殆ど江戸時代が舞台ですから、風呂屋の始まりは江戸期ではないかと思われます。
ではそれ以前、公家や武家以外の内風呂を持てない庶民はどこで体を洗っていたのでしょうか。

くだらないことに興味を持つ南亭。
さっそく図書館で関連の書籍を漁ったものです。

その中の『日本風俗史』によると、鎌倉末期に銭湯が出現し、
室町時代には京の公家たちが町湯、町風呂を利用したという記録が残っています。
ただ、庶民が銭湯を使ったというのは、ずーっと後の話なんですね。

ともあれ、記録に残っている銭湯の歴史を追ってみましょう。

天正18年(1590)
大阪に風呂屋が出現
天正19年(1591)
江戸に初めて銭湯ができる
慶長5年(1600)
銭湯で武士の喧嘩事件があり、武士の銭湯通いが禁止される
寛永10年(1633)
江戸に湯女風呂が流行し吉原が衰退する
正保2年(1645)
風呂屋に客が宿泊することを禁止
慶安1年(1648)
江戸市中の湯女を禁止
「店法度書き」で男湯・女湯別に張り出すことを命じられる
慶安5年(1652)
この頃、男女とも入浴には風呂褌の着用を義務づける
寛文5年(1665)
市中一般の銭湯、このころから盛んになる
宝永5年(1708)
江戸の民家に蒸し風呂が取り入れられる
寛政3年(1791)
男女混浴が禁止される
天保3年(1831)
浴槽内に踏み段をつける銭湯が現れる
明治5年(1872)
明治新政府が、改めて男女混浴を禁止する
明治20年(1887)
横浜に現れた薬湯「昇休館」が有名になり、薬湯が流行し始める
大正10年(1921)
この頃、銭湯にタイル張りの浴槽が現れる
大正12年(1923)
モダン風呂が出現。コンクリート建て、タイル張りなど新様式の銭湯が増える
昭和2年(1927)
東京の銭湯にカラン(蛇口)が使われるようになる

こうして見ますと、銭湯が庶民の間に定着したのは、矢張り江戸時代ということになるのですね。
そして風呂屋というのは、常に風紀の取り締まり対象になっていたということでもあります。
「湯女」「混浴」の禁止、また「風呂褌」の着用など度重なるお触れが出たのは、さもありなんということでしょう。

銭湯といえば中学のころ、学校でアイヌ民族舞踊団の公演がありました。
その何日か後、銭湯に行ったところ湯船の奥にいたのは漆黒の濃い髭と眉を持った人でした。
どう見ても舞踊団の中心にいたおじさんでした。
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ILLUSTRATED BY NANTEI

当時の行商人や旅芸人たちが泊まる旅籠には、風呂の無いところが多かったのでしょう。
そんな様々の人たちが垢を流した銭湯も、内湯を設えた住まいが増えるにしたがって、徐々に姿を消していったのですね。



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猿も木から 2017年09月18日 漫歩 トラックバック:0コメント:20

作草部(さくさべ)。

久しぶりに爽やかな秋晴れの一日。
気持ちの良い道を散歩したいものと、「作草部坂通り」にやってきた。

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今年の5月に紹介したさかい珈琲のある通りだ。

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直線で約1Kmだから、ゆっくり歩けば30分もかからないだろう。
歩いてみると、折からの秋日和とあって予想以上に心地の良い通りである。
澄んだ空にぽっかり浮かぶ雲、そして美しい並木。

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坂通りが途切れる東寺山に差し掛かったその時、
百日紅に縁取られたという形容がぴったりの用水に出くわした。

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世の中はそろそろ百日紅の終わる時期だが、
ここではまだ真紅やピンクの百日紅がモールのように用水を飾っていた。
最盛期はさぞ壮観だろう。来年はその頃に是非訪れたいものだ。

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ただ、水色のフェンスや用水に渡した柵のようなものが無ければ、
それこそ「インスタ映え」する風景になるのに・・・

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用水の近くで小じんまりした喫茶店を見つけた。
カフェではなく正しい「きっちゃてん」だ。

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通りの景色と光が実に心地良い。

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しかも珈琲がDトール並みの値段とあっては、いうことなし。
歩いてこその発見であり、果報である。

ところで、先ほどの用水だが。
猿が三匹ばかり溺れかかっていた。

信じる者に幸多かれ。



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赤提灯(69) 2017年09月10日 酒肴 トラックバック:0コメント:36

飯で呑む。

深川では名物の「深川めし」をつまみにお酒を呑む人も少なくありません。
もっとも飲兵衛にとって、つまみなんて何でも構わないわけで、
何も無い時は子供が食べ残したポッキーなんかで、ちびちびという方もいらっしゃるようですな。

居酒屋「南亭」でも、酒のお供に混ぜご飯をお出しすることがあります。
今回は鮭と胡瓜の混ぜご飯「かっぱ飯」を、お試しいただきましょうか。

鮭胡瓜

炊き上がったご飯を少し冷まして、ほぐした焼き鮭と塩もみ胡瓜を混ぜるだけですが、
鮭の旨みと胡瓜から出る塩気が、つまみにぴったりな混ぜご飯になるのですよ。
刻み海苔なんか振りかけたら、たまんないっしょ!ダンナ。

鮭胡瓜A

飯以外につまみはねえのかい!
というわがままな人には「オクラのシラス和え」どうでしょう。
茹でて輪切りにしたオクラとシラスを、ポン酢+醤油で和えました。

さらに煩い野郎には、ヒジキの炒め煮も付けようじゃねえか(怒!

鮭胡瓜B

ご飯で呑むといえばその昔、神田神保町の老舗ビアレストラン「ランチョン」で、
人品卑しからぬ紳士が塩を振ったライスだけでビールを呑んでいたそうです。
週に二三回、来るたびにライスとビール。

それも実に優雅に見えたと、当時の従業員は話していました。
神保町で今も語り継がれる伝説です。



ところで・・・

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居酒屋「南亭」暫時休業。


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ひょんなところで 2017年09月08日 俳句 トラックバック:0コメント:12

夏井いつき。

いつのことだったろうか、鳥居氏から俳句の同人誌が届いた。
某企業の俳句愛好会が初めて刊行したという句集だった。
「源八」というその会は、鳥居三朗氏を主宰に迎えていたのである。

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鳥居三朗氏については四月一日をご覧いただきたい。
その鳥居氏が主宰の「源八」である。やんちゃな俳句集団が育つ筈である。

冬鵙の貌こはいことこはいこと (猛)

茹栗の冷めてぺこりと凹みけり (俊)

卯の札やおばはんたよりにしてまつせ (耕平)

蝙蝠を五丁目交番で見たよ (兼光)

小春日や碁盤の裏は将棋盤 (良郎)

「源八」から抜粋した句だが、鳥居主宰の《真面目な無頼の精神で遊ぶ》という、
わけのわからない方針を守り続けた、健気な門人たちの秀句である。

その「源八」を久々に開いてみたら、今まで見逃していた頁があった。『あとがき』である。
お気に入り作家の『あとがき』は目を通すが、同人誌・俳誌などはたいがい素通りしてしまう。
ところが、どうした風の吹き回しか源八の『あとがき』を開いてしまったのだ。

驚いたのは、夏井いつき氏の名前を見つけたことである。
俳句を嗜む人はもちろん、そうでない人にも昨今では名前が知られているらしい。
民放のなんとかいう番組でタレントたちの句を、いじり倒すのが評判だという。

私は俳句の世界については太陽系外の人間だから、今でこそ名前は存知あげているものの、
どんな方でどんな句を詠んでおられるのか全く分からないのである。
しかも、この「源八」を贈られたのが十年前のことで、その頃は夏井氏も今のように有名ではなかっただろうから、
『あとがき』を見たとしても、何の感興も湧かなかった筈だ。

ここで『あとがき』の内容を書くよりも、実際の印刷物のコピーを見ていただいた方が手っ取り早いだろう。

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たぶん、夏井氏に選句してもらった方は無論のこと、
俳句に精進なさっている方なら、おお!と思われるに相違ない。
ゴシップ好きの私は、そのお相手「兼光さん」に興味深々なのだが。


最後に同じく「源八」から、鳥居師匠の一句。

朝寝して朝忙しくなりにけり


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