笑劇 2018年04月27日 時事 トラックバック:0コメント:3

ジョンウンDトランプ
ILLUSTRATED BY NANTEI



米朝友好的演出。





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中華食堂「南亭」 2018年04月25日 料(筍) トラックバック:0コメント:24

思いつくままに。

毎年のことですが、筍を収穫したあとは怒涛のようにタケノコ料理が続くのであります。
茹でた筍は適当に切って、大きなタッパーで水漬けにして冷蔵保存するのですが、意外と足が速いのです。

水が濁ってきたら水を取り替えているのですが、それも限度があるわけでして、
なるべく早く始末するために手を替え品を替え、毎日といっていいほど筍料理に汗を掻いている始末。
なら、ほどほどに掘ってきたらどうなんだ。自らに言い聞かせていることはいるんですがね。

ま、それはそうとして・・・
まずはこんな料理を作ってみました。
「タケノコとスペアリブの旨煮」でございます。

スペアリブ(6本ほど)は圧力鍋で柔らかく煮ましょう。
味付けは水、醤油、酒、オイスターソースですが、薄めの味をお薦めします。
圧力鍋が冷めたら深めのフライパンに、汁ごと入れてください。

そこに薄く切ったタケノコ、お湯で戻した春雨と白菜を加えて中火で煮ます。
汁の味加減を見て薄く感じたら、醤油とオイスターソースを加えましょう。

筍スペア

タケノコにお肉の味が微妙に沁みて、かなりのものです。
もちろんスペアリブのとろとろ感はいうまでもありません。

「茄子と胡瓜のサラダ」です。
茄子は縦半分に切って薄く斜め切り。塩を少々まぶしてレンジで3分。
胡瓜も斜めに切って塩を振ります。

合間に麺つゆ少々、鶏がらスープの素、砂糖、七味、ごま油で漬けだれを作っておきましょう。
10分経った胡瓜を軽く揉み、先ほどの茄子とともにたれに漬けます。
2時間ほど置いてたれが馴染んだら、器に盛りましょう。

筍スペアA

炒りゴマを振り、ミニトマトを飾ると美味しそうな中華サラダの出来上がり。

最後は「タケノコスープ」です。
さいの目切りしたタケノコとシメジのスープ。

筍スペアB

醤油と鶏がらスープ、胡椒で味付けしましょう。

筍スペアC

こうして先ずは一日目が終わりました。
次はどうしませう?
いいアイデアがあったら、教えてちょーだい!



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神田 2018年04月23日 江戸 トラックバック:0コメント:24

神保町。

一年ぶりに神保町古書店街にやってきました。

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相変わらず賑わってますね。

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今日の目的はこの「古賀書店」です。
ここは音楽専門の古書店で、対位法などの作曲技法、音楽評論や音楽家の伝記はもとより、
楽譜、はたまた来日した名演奏家のコンサート・プログラムまで扱っており、
好事家にはたまらない古書店として知られています。

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今回は何を探しにきたかといいますと、ちょっと照れくさいので内緒にしておきますが・・・

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神保町も少しずつ変化しているようです。
小さな書店は飲食店に取って代わり、新しくビルに改築した老舗も何軒か見受けられました。

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三省堂などは一階がカフェレストランになっていたり、
遊びの空間を設けたりと、若者の書籍離れを食い止めようという努力が伺われます。

さて、帰りは淡路町方面へ歩いてみましょうか。
小川町から淡路町界隈は一本裏道に入ると、江戸時代からの名店が多く残っていて、
それらを眺めなら散策するだけでも、粋な気分にさせてくれるのです。

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神田といえば有名な「神田藪蕎麦」。
4年前の火災で半焼しましたが、一昨年建て直したお店です。

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すぐ近くには鮟鱇鍋で名高い「いせ源」。

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また鳥すきの「ぼたん」。

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甘味処「竹むら」といった、文化財的な建物が並んでいるのです。

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新しいビルになってしまいましたが「志乃多寿司」も、創業百年を越える老舗です。

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そして表通りには藪蕎麦と人気を二分する蕎麦の「まつや」。

これらはいずれも美食家としても知られた、池波正太郎氏が贔屓していた名店ばかりです。
特に「まつや」は池波氏が足しげく通ったと聞いています。
実は私も「藪」より「まつや」が多かったのですが、池波氏のように舌が肥えていたわけではありません。

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仕事関係で一時は毎週訪れていた会社が、ここ小川町にありましたので、
そこの社長さんに連れられてよく来たという、それだけのことでしたが。
土曜日に止むを得ない用件で訪れると、お昼はたいがいこの「まつや」でお酒と蕎麦をご馳走になったものです。
わさびかまぼこ、鰊の棒煮、焼き海苔などで呑む昼酒はまこと大人の時間でありました。

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そうそう、池波正太郎といえばこの店も外せません。洋食の「松栄亭」です。
池波氏はここでよく〔洋風掻揚げ〕を食べていたそうで、エッセーにも、
「まったく、この一品の味わいは、私のような東京の下町に育った者にとっては、なつかしいの一語につきる。
それでいて、いまの若者たちも[かきあげ]にたっぷりとウスターソースをかけてごはんをたべているのだ」

というくだりがあります。

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この日はだいぶ歩いたので、揚げものはパスして〔オムライス〕を頼みました。
玉子にくるまれているのは正統なチキンライスですが、濃厚なケチャップの味は少々くどく感じたものです。
年寄りには人形町「小春軒」のようなプレーンオムレツと白いご飯が口に合うのでしょう。

松栄亭

「松栄亭」、私が若い頃はこういう煤けたような佇まいでした。
(写真はお借りしたものですが)
このあたりは戦災を免れた稀少な一画でもありまして、そのため古い料理屋が無傷で残ったわけです。

ちなみにこの一帯は小川町となっていますが、神田藪の辺りは「連雀町」と呼ばれていました。いい名前ですね。
神田には「黒門町」「白壁町」「猿楽町」「久右衛門町」など四十以上の町名があったそうです。

また銀座にも無数の町名がありました。
「佐柄水町」「八官町」「瀧山町」「弓町」「木挽町」などなど・・・
それが銀座一丁目から八丁目という平板な区画に統合されたのです。

これは東京に限らず、各地でも同じだった筈。
行政上の煩雑さを解消するためなんでしょう。
しかし、慣れ親しんだ町名が消えてしまうというのは、想像以上の寂しさだったと思います。

私も20年ほど前に、本籍地の地名が変更されて面食らったことがあります。

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十七文字の風景 2018年04月21日 俳句 トラックバック:0コメント:10

潮干狩。

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潮干狩りといえば忘れられない人がいました。Kさんという木更津の網元さんです。
義父とは長い付き合いだと聞いていましたが、私が逢ったのは三番目の義兄に連れて行かれた時でした。
義兄も仕事を兼ねてKさんと懇意だったのです。
網元といっても自前の漁船を持って、近海漁を営んでいるわけではなく、
俗に江戸前といわれている上質な海苔を養殖し、加工してから出荷することをなりわいとしていました。

もうひとつこの木更津の浜は潮干狩りの浜としても有名で、
だいたい3月の中旬から7月いっぱい潮干狩り客に有料で解放します。
それ以外の期間は出荷用の蛤、浅蜊、青柳の漁場となりますが、
Kさんは海苔を含めたこれらの浜の権利、つまり入浜権を持っていた方でした。

それからは義兄と一緒に潮干狩りや舟釣りを楽しませてもらい、
また年末の新海苔を分けてもらいにお邪魔したりと、
二十年以上にわたってお付き合いさせていただいたのです。

特に潮干狩りは我が家にとって、晩春最大のイヴェントでした。
友人家族も誘って一日を貝の採取に興じていたのですが、
浅蜊はもとより遠浅の先で採れる青柳、それから浜に打ち上げられたムラサキ貝(ムール貝の一種)、
などを袋網にずっしりとぶら下げて戻ってくると、土間には盥のような鍋に浅蜊汁がいい匂いを立て、
綺麗に剥かれた青柳、やはり釣ったばかりだろう「いさき」の刺身などがいく皿も並んでいました。

いつお邪魔しても必ず数人以上のお客さんや、漁師仲間で賑わう座敷や土間を出たり入ったりして、
大皿の料理を一日中ふるまっていたのは、kさんのかみさん。
たくましくおおらかな「浜のおばちゃん」でした。

私たち男どもは、一升瓶をあてがわれてコップ酒。
ほどよく酔ったら風の良く通る板の間で眠り、起きてはまた一升瓶のところにへにじり寄るという、
この上ない極楽の時間を頂戴していたのでした。

そのKさんも10年前に亡くなり、やがておかみさんも身体が不自由になられたとか。
それやこれやで木更津の浜に訪れることも無くなってしまいましたが、
ずーっと不思議だったのは、潮干狩りの費用を払った記憶がないことでした。

一体誰が払ってくれたのでしょうね?
・・・・・・・
ま、いっか!


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合図は 2018年04月19日 里山 トラックバック:0コメント:24

山椒。

庭の山椒が茂ってくると、筍が頭を出す合図だということを知りました。
古の人はとうに判っていたのでしょう、その上で筍ご飯などに山椒の葉っぱを乗せるなど、
よくぞ粋なことを考えたものだと、感心してしまいます。

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合図とあれば、さっそく里山へ行ってみなければ。

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おなじみ多部田の谷津田。見渡す限りの新緑です。

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竹林に入りましょう。竹林は年々変化しているようです。
昨年採り忘れの竹が竹林の縄張りを広げ、老いた竹は根元から枯れて何本も横倒しになっていました。

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昨年は竹の裏年といわれ、全国的に筍の収穫量が少なかったようですが今年はどうなんでしょう。
思っていた途端、目の前に筍の頭が・・・

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そこにも・・・

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また、あそこにも。

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昨年の反動でしょうか、物凄い勢いです。
見る間に数本!ヤッホー!!
この日はまたたく間に10本掘りました。

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竹林の前に自生するセリも摘みませう。

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筍の重い袋を背負って、中座敷と呼んでいる橋の上で一休みです。

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相変わらずのお結びと茹で卵。
みなさまには飽き飽きしたでしょう。すみませんね。

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用水には水澄ましがスイスイ。
あちこちから蛙や、鶯の声が聞こえます。命に充ちた里山のさざめきに身も心もゆだねましょう。

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帰ってからがまた大仕事です。
皮を剥いて持ち帰った筍を、染色用の大鍋で糠を加えてことこと煮ます。

冷ましたら娘のところ、また義兄や友人のところへ宅急便で発送します。
残ったのは、といっても大きなタッパー2個分ありますので、
手を替え品を替えしながら、筍料理を作るという日々が待っているのでございます。


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