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伊豆 2019年11月19日 紀行 トラックバック:0コメント:10

修善寺(2)。

滝亭
(泊まった宿の露天風呂。写真は借用したものです)

修禅寺温泉の泉質は弱アルカリ性単純泉 。
ひじょうになめらかで、温度も熱すぎずぬるすぎず。
いつまでも浸っていたい湯でした。

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修善寺の見どころはたくさんあります。
その一つが桂川沿いにある竹林の小径です。
夜はライトアップされて、湯治客たちを楽しませています。

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その竹林の傍に「朴念仁」という蕎麦屋があります。
修善寺は蕎麦が美味しいことでも知られているそうですね。

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室内からはパノラマスクリーンのように竹林が見えて、蕎麦を待つ気分も上々です。

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極細の十割蕎麦と伊豆名産・桜エビのかき揚げ。
十割蕎麦の甘さと、香ばしいかき揚げとのアンサンブルは絶品です。。

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桂川沿いには、訪れた人々をもてなすお店がびっしり並んでいます。
昭和の香り漂う洋食屋、珈琲店、中華そば屋、甘味処・・・

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その中の一軒、甘味茶屋の「一石庵」に入ってみましょう。
むしょうに甘いものが食べたくなったのです。

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甘味のなかでも横綱級のクリームあんみつを注文しました。
左党の私には考えられないことですね。
しかもぺろりと平らげてしまったのは、旅という非日常だからでしょうか。

浄蓮の滝から天城越え。
修善寺から「浄蓮の滝」までは、下田方向へ車で30分ほどだそうです。
せっかくですから観光しましょう。

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木の間隠れに見える浄蓮の滝は、真下から見るより詩的だと思いませんか。
といいつつ、実は何十段もある勾配を降り登りする自信がまだ無かったからで、
上から覗けたショットで誤魔化したのですが・・・ハハハ

天城越えからだるま山。
ここから天城越えは、ほんの目と鼻の先です。
石川さゆりさんが歌う、♪九十九折 浄蓮の滝、天城越え~♪ の世界ですね。

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ここまで登ってくると、紅葉も見事です。

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!?!?
思いがけず富士山の巨大な顔。
いやが上にもテンション上がりますね!

ここから西伊豆に向かって20分ほどのところに、達磨山という高原があります。
そこは日本一の富士山展望地といわれているそうで、
ならば、ぜひ!

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わ!!
想像を遥かに超えた景色です。

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手前は駿河湾。
左後方には南アルプス、もっとカメラを引くと右手は箱根連山という、
一大パノラマが広がっていたのです。

もう修善寺の湯も、宿の料理も蕎麦もどこかに吹っ飛んでしまい、
ただただ陶然と、この絶景に浸っていたのでした。


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伊豆 2019年11月17日 紀行 トラックバック:0コメント:24

修善寺。

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修善寺の由来となった曹洞宗「修禅寺」。

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温泉街を流れる桂川。

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河畔の足湯。

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伝説の湯「独鈷の湯」。

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修善寺温泉街。

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国の有形文化財「新井旅館」。


退院から二か月。
「肺機能は九割がた回復したようです。もうあなたは患者ではありません」
と主治医から告げられて、あと一割がたいへんなんだよな。
とは思いつつ「患者」から一応解放されたわけだから、快気祝いといっていいのだろうか、
自分への「ご苦労さま」に、温泉でゆったりしたいと思ったのです。

選んだのが伊豆・修善寺温泉でした。
伊豆の温泉は湯河原、熱海、伊東、長岡、箱根、土肥などけっこう訪れていたのですが、
修善寺は一度も足を踏み入れてない、憧れの温泉でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《修禅寺》
修善寺といえば、源氏本流の滅亡に関わりのある「修禅寺」を外せません。
鎌倉幕府2代将軍頼家は北条氏との権力争いに敗れ、この修禅寺に幽閉されてやがて暗殺されます。
また頼朝の弟・範頼も頼朝から謀反の嫌疑を受けて、ここ修善寺で殺害されたといいますから、
源氏にとって暗い歴史を背負った地でもあったのですね。

《独鈷の湯》
空海が修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ、
その孝行に感心した大師は、「川の水では冷たかろう」と、
手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させたという伝承が残っています。
これよりこの地方に湯治療養が広まり、修善寺温泉が始まったとされます。

《新井旅館》
明治5年創業の老舗旅館。
三代目・相原寛太郎が、日本画家の安田靫彦や横山大観をはじめとする文人墨客と親交が深く、
その縁で日本画や文学など数多くの作品が生まれる舞台となりました。
芸術家の感性は建物や庭園にも生かされ、今では貴重な文化遺産となっています。
平成10年には、客室棟や浴場など15件の建物が国の登録有形文化財に登録されました。

素泊まりで一泊3万円から、ですか・・・
玄関だけでも見せていただけますか?
どうもすみません。


(次回に続く)


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どうゆうわけか・・・ 2019年11月11日 音(洋) トラックバック:0コメント:16

レゲエ。


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ILLUSTRATED BY NANTEI

ふと、レゲエという言葉が浮かんだ。
きっとジャマイカ大使館を紹介した番組を見たからだろう。

レゲエが世界的に流行したのは1970年代の後半。
この頃の日本はどんな世相だったかというと、
ロッキード事件や日航ハイジャック事件が世を騒がせたものの、
比較的穏やかな時代だったのではないか。

王貞治選手のホームラン世界記録があり、成田空港が開港したのもこの頃で、
プリントゴッコ、ウォークマン、インベーダーゲーム、また、
ペヤング焼きそば、赤いきつね、うまい棒などが世に出た時代でもあった。

私はといえばアリスとキャンディーズの隠れファンであり、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を口ずさむ、青臭い部類の社会人だった。

やがて、FMからしょっちゅう流れてきたのがレゲエである。
とくにボブ・マーリーの《ノー・ウーマン・ノー・クライ》。
物憂いリズムと、もの哀しいような歌がいつの間にか耳にこびりついてしまったのである。

そうか・・・
あれから40年以上になるか・・・

どの女も もう泣かないでおくれ
かわいいお前
涙を流さないでおくれ

NO WOMAN NO CRY






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ここはどこ・・・ 2019年11月08日 下総 トラックバック:0コメント:18

THE SURF OCEAN TERRACE

ここは千葉です。
千葉市稲毛区の海浜公園です。

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ご覧のような白亜のレストラン&カフェ、イヴェントホールが出来たのは2年前。
ここが千葉ですか?という風景にびっくらこいたものです。

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一年ぶりにその稲毛海岸へやってきました。
お高そうなレストランでランチなんていう身分でもありませんから、

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ベーカリー・カフェのコーヒーを持って、海岸のテラスでまったりします。

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この日は久しぶりの穏やかな秋日和で、東京湾をぼーっと眺めていると、
うつらうつらしてしまいそうです。


この近くには、古くからのヨットハーバーもあり、
オーシャン・テラスが加わることによって、ぐんとおしゃれなスポットになりました。

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ヨットハーバーといえば、

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ずいぶん昔ですが、この四階にあるイタリアン・レストランで食事をしたことがありました。

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夕日を眺めながらのワインは、ことのほかでありましたが・・・

こんな気障な食事、私に似つかわしくないこと夥しいですね。
これ以降、カタカナのお店にはとんと縁がなくなりました。

しかし、この稲毛海岸、ほんと千葉とは思えないでしょ。


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競馬場への道 2019年11月05日 下総 トラックバック:0コメント:14

西船橋。

JR西船橋で降りたのは、×十年ぶりである。
この駅で降りる目的というのは、中山競馬場以外になかったわけだが、
四十年前に武蔵野線が開通し、その新線の「船橋法典」駅で降りると、
濡れないで競馬場に入れるというわけで、西船橋とはすっかり縁が無くなったのである。

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中山競馬場へ行くには、この他に「京成西船」と「京成東中山」という最寄駅があった。
しかし西船橋は駅前から競馬場を往復する無料バスが出ていたし、
競馬の勝ち負けによらず、一杯呑んで帰ろうという輩が西船の酒場に押し掛けたので、
中山開催時の西船橋は変わらぬ混雑ぶりを見せていたのである。

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私はといえば、ここから歩いて競馬場へ向かうことが多かった。
ゆるやかな上り勾配の商店街を歩く。

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途中に戦後間もなく開いたという煎餅屋がある。
競馬帰りのおっさんが、土産に買ってゆく姿もよく見られたものだが。

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商店街は千葉街道という広い通りにぶつかる。
この街道を5分ほど行くと「中山競馬場入口」交差点。
右折して直進すると競馬場の正門になる。

だが、私は途中の住宅街に折れて細い道をうねうねと歩くのが常だった。
同じような男も何人かいたが、とくべつ近道というわけでもないのに、
なぜかこの裏道を歩いてしまうのは、どういうわけだろう。

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しかし、武蔵野線を使うようになると、雨に濡れないで行けるという有難さから、
西船で下車することは皆無になってしまった。
「船橋法典」駅からトンネル道を行くと、上の写真のようにウワッとメインスタンドが現れるのだ。
いやが上にもギャンブル魂が騒ごうという光景だった。

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西船橋駅前には、いくつかの盛り場がある。
普段もそれなりに賑わっているが、競馬開催日の混雑は物凄く、

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それ以上にすさまじいのが中央競馬最後のレース「有馬記念」の日であろう。
「有馬」の熱気冷めやらぬ男どもが、何千人と押し寄せて阿鼻叫喚の巷となるのである。
有馬の狂瀾につては5回中山をご覧あれ。

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ラーメン屋も小さな駅前にしては多かったようだが、
久し振りに来てみると、昔からの店は殆ど姿を消して大手のチェーン店、あるいは「新ラーメン」ばかり。

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で、駅の反対側を探索する。
すると「新ラーメン」だが「人気1位に輝いた殿堂店」、という売り口上のラーメン店《かいざん》が目についた。
他にはラーメン屋もなさそうだし、ためしにと入ってみる。

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豚骨醤油のスープに細い麺。
思ったよりしつこくない脂で、空腹の爺さんはなんとか完食できたのである。
それにしてもだ。
すっきりした鶏ガラスープの東京ラーメンは、何処へ行ったのだろう・・・


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