六月 2018年06月16日 俳句 トラックバック:0コメント:20

青田。

房総の田植えは早い。
五月の連休には田んぼの八割方で、早苗の列が揃っている。

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六月ともなると膝丈ほどに伸びた苗が、折々の南風(みなみ)に波立つ様は、
まこと「瑞穂の国」ならではの喜ばしい光景である。

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下総に山はなかりし青田波

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白鷺の心頭滅却青田風

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青田道極彩色の宣伝車

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青田波にもありけり人の好き嫌ひ

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田水湧く田の神さまへ飯茶碗




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十七文字の風景(6) 2018年06月08日 俳句 トラックバック:0コメント:14

鮴(ごり)。

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金沢市内を犀川と浅野川という大きな川が流れている。
夏の気配が近づくと、この二つの川でごり漁が始まる。
昭和30年頃までは、金沢の風物詩として知られていた。

ごりは金沢ではカジカを言い、琵琶湖のあたりではヨシノボリをさす。
いずれもカジカ科ハゼ科であるが、形が似ているため同じ名が使われたものと思われる。

当時叔母の住んでいたところは、浅野川に近かったため夏休みに泊りがけで遊びにゆくと、
浅野川の畔を散歩のついでに、ごり漁を眺めたものだった。

ごり漁は二人一組で行う。
川石の影に隠れているごりを一人が追い出し、もう一人が竹で編んだ三角の笊で素早く掬うのである。
ごりは俊敏なので、その動きを知っていないと漁は成り立たないわけで、
相当の経験を積んだ者でないと、半日頑張っても二尾がせいぜいの難しい漁だった。

こうして獲った魚篭一杯のごりは、川べりの料亭に持ち込んだそうだ。
なにしろこの時期ごり料理を食べたさに、かの魯山人を初め食通を自認する人々が、
浅野川の料亭にやってきたというから、相当いい値段が付いたのだろう。

その、ごり。
一夜針という釣り方もあって、数10センチの釣り糸の先に餌を付けた針を、
川底の大きな石を重しにして沈めておくのである。
翌朝、その針の一本にでも、ごりがかかっていたら幸運というまなぬるい漁法だ。

ごりは「活造り」、「唐揚げ」、ささがき牛蒡との「ごり汁」などで供されることが多い。
白身の魚らしくさっぱりとした刺身もさることながら、唐揚げの香ばしさは絶品である。
他にも「甘露煮」は市民の食卓に欠かせないものであり、名産品のひとつに数えられている。

そのごりも、昭和の後半には生育環境の変化によって減少し、今では貴重な食材になっているという。

ゴリ
(写真は借用したものです)

ごりは、生命力の強い魚だと聞いたことがある。
そういえば同じ科目のハゼも釣ってから6時間経つのに、何尾かはクーラーボックスの中で生きていた。
ハゼのように鱗のない魚、鰻や穴子また鯰も生命力が強いとされ、滋養強壮の目的で食されることが多い。

ところでごり料理は、なにも料亭でなければというわけではない。
今はどうか知らないが、市民の台所といわれている近江市場の海鮮食堂でも食べることが出来た。
唐揚げは、ハゼ科特有の大きな胸鰭を広げた姿をしていた。
まるでそのまま飛んで行きそうな気がしたものである。


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ことばの歳時記 2018年05月25日 俳句 トラックバック:0コメント:10

五月の言葉。

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ILLUSTRATED BY NANTEI

《カイコの異名》
蚕が育っている時期であるが、漁村で魚が成長過程に応じてちがった名で呼ばれるように、
養蚕のさかんな地方ではカイコが成長とともに名前を変える傾向がある。

代表的な養蚕地帯上州では、一眠したものをシジ、二眠したものをタケ、三眠したものをフナ、
四眠したものをニワイというそうだ。
その他の地方でもかえったばかりの蚕をケゴと呼んで区別する習慣は珍しくない。

ついでに新潟県の北魚沼郡湯場という地方では、シラミが成長過程で名前を変えるそうで奇抜である。
卵のうちをムシノコ、卵からかえりたてをコバといい、やや成長したのがシラミ、
特に大きくなったものをトチジラミ、あるいは単にトチという。

トチの実のように大きいという意味だろうか。
妙なものを区別したもので、昔この地方の人がいかにシラミに悩まされていたか、想像がつこうというものだ。

《おたまじゃくし》
池のほとりなどを散歩すると、かえったばかりのおたまじゃくしが、
水が黒く見えるほどコチャコチャといっぱい群れているのを見かける。
おやまじゃくしといえば、このカエルの子のほかに、
われわれが日常みそ汁などをよそうしゃくしの名前でもあるが、その語源はなんだろう。

大槻文彦博士によると、もともとあのしゃくしは、
滋賀県の多賀神社でお守りとして参拝人に売っていたもので、これを「お多賀じゃくし」と言った。
これがなまって「おたまじゃくし」となったのだそうだ。

「カエルの子」はその形がお多賀じゃくしに似ていたというわけで「おたまじゃくし」と呼ばれたものだという。

(金田一晴彦著「ことばの歳時記」より)

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十七文字の風景(5) 2018年05月19日 俳句 トラックバック:0コメント:14

新樹光。

新樹光

新緑の公園では、どこからか楽器を奏でる音が聞こえてくることがあります。
住宅地では練習できない、トランペットやサキソフォンといった管楽器が多いようです。

管楽器の中でも木管楽器、サキソフォンやクラリネットは演奏が難しく、
中級者でも時々、音がひっくりかえることがあります。
とくに高い音になるとピーッ!と外れた音を立てることもしばしば。

ドレミファソラピーッ♪。なんて情けない音階になったりして、思わず笑ってしまうのですが、
何故こういうことになるかというと、木管楽器はリードという薄い竹片を震わして音を出す仕組みになっていて、
唇の締め具合と菅のボタンを操作することにより、音階を奏でるからです。

高い音を出すには唇を強く締める必要があります。
その唇の締め具合がどうかした拍子に強すぎた場合、音階を外してしまうのですね。
中級の人でもソロを演奏する時は緊張のあまり、大切なところでピーッ!となるわけです。

ナンテイは中学・高校とブラスバンドにおりましたが、
トランペットだったので音がひっくりかえるということはなかったのですが、
ときどきスカ~という漏れたような音を出す時がありました。
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(NANTEI少年、自衛隊音楽隊隊長より「演奏がだらしない」とお目玉を食らうの図)

これは弱音のとき、あまりにも唇を緩めすぎたためです。
それと長時間の練習で、頬の筋肉と唇の痛みが強くなると吹く力ががくんと落ちるので、
尾篭な話ですが「すかしっ屁」のような音になることも多いわけです。

そうそう、ホルンもこれまたよくひっくり返るのですよ。
特に高音を静かに奏でなければならない時、唇の締め具合と息の送り方がまずいと、
聴衆が思わずこけてしまうような、哀れな音を出してしまうのです。

昔、ブルックナーの交響曲4番を聴きに行ったことがあって、
第一楽章の冒頭、霧が払われてその中からアルプスの峰々が姿を現すという荘重な部分が、
ホルンの独奏で始まるのですが、そのホルンが見事にひっくり返ってしまい、
いきなり足をすくわれたような気持ちにさせられたことがあります。

ともかく楽器演奏というのは、思ったよりアスリートのような体力を要するわけで、
新緑の下で吹いていたサキソフォンのピーッ!も、「あらあら」と思いつつ、
「頑張ってね」とエールを送りたくなるのです。


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十七文字の風景(4) 2018年04月21日 俳句 トラックバック:0コメント:12

潮干狩。

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潮干狩りといえば忘れられない人がいました。Kさんという木更津の網元さんです。
義父とは長い付き合いだと聞いていましたが、私が逢ったのは三番目の義兄に連れて行かれた時でした。
義兄も仕事を兼ねてKさんと懇意だったのです。
網元といっても自前の漁船を持って、近海漁を営んでいるわけではなく、
俗に江戸前といわれている上質な海苔を養殖し、加工してから出荷することをなりわいとしていました。

もうひとつこの木更津の浜は潮干狩りの浜としても有名で、
だいたい3月の中旬から7月いっぱい潮干狩り客に有料で解放します。
それ以外の期間は出荷用の蛤、浅蜊、青柳の漁場となりますが、
Kさんは海苔を含めたこれらの浜の権利、つまり入浜権を持っていた方でした。

それからは義兄と一緒に潮干狩りや舟釣りを楽しませてもらい、
また年末の新海苔を分けてもらいにお邪魔したりと、
二十年以上にわたってお付き合いさせていただいたのです。

特に潮干狩りは我が家にとって、晩春最大のイヴェントでした。
友人家族も誘って一日を貝の採取に興じていたのですが、
浅蜊はもとより遠浅の先で採れる青柳、それから浜に打ち上げられたムラサキ貝(ムール貝の一種)、
などを袋網にずっしりとぶら下げて戻ってくると、土間には盥のような鍋に浅蜊汁がいい匂いを立て、
綺麗に剥かれた青柳、やはり釣ったばかりだろう「いさき」の刺身などがいく皿も並んでいました。

いつお邪魔しても必ず数人以上のお客さんや、漁師仲間で賑わう座敷や土間を出たり入ったりして、
大皿の料理を一日中ふるまっていたのは、kさんのかみさん。
たくましくおおらかな「浜のおばちゃん」でした。

私たち男どもは、一升瓶をあてがわれてコップ酒。
ほどよく酔ったら風の良く通る板の間で眠り、起きてはまた一升瓶のところにへにじり寄るという、
この上ない極楽の時間を頂戴していたのでした。

そのKさんも10年前に亡くなり、やがておかみさんも身体が不自由になられたとか。
それやこれやで木更津の浜に訪れることも無くなってしまいましたが、
ずーっと不思議だったのは、潮干狩りの費用を払った記憶がないことでした。

一体誰が払ってくれたのでしょうね?
・・・・・・・
ま、いっか!


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