今年の 2017年03月23日 俳句 トラックバック:0コメント:18

椿。

今年は梅もそうだけど、椿の花が例年以上に多く咲いた。
散った椿の花は、根元に累々と横たわる。
艶やかで酷いほどの光景。

そういえば神蔵器氏に、このような句がある。

石棺に椿の真紅したたれり

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ツバキは古代から、めぐりきた春の喜びを伝える代表的な木である。
ツバキに「椿」という字をあてるのは、ちょうど、エノキを夏の木と見立てて「榎」とやり、
ヒイラギを冬の木に見立てて「柊」とやったのと同じ伝で、日本で新作したつもりだった。

ところが実は、中国にも「椿(ちん)」という字があって、これは日本でセンダンといっている植物をさしていた。
そのことを知らなかったらしい。
中国の「椿」の字は「長く久しい」の意味にも使い、長命のことを「椿寿(ちんじゅ)」などとといっている。

金田一晴彦「言葉の歳時記」より。

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一方、武家政権の時代、椿は縁起の悪い花とされていた。
椿は散る際、花のままポトリと落ち、まるで首を落とされる様なので武士達からは嫌われており、
家紋に使われる事も避けられていた。


椿



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2017年03月13日 俳句 トラックバック:0コメント:24

最後の粋人。

出版社に送られた氏の原稿からはいつも、ほのかに良い香りが漂ってくるという。
編集者が氏に尋ねたところ「はてね?」と笑う。
お嬢さんが横合いから「父はずーっとシャネルを使っているんです」
氏は照れて「汗を掻きそうなとき、たまにです」

身の回りにあるのは全て趣味の良いものばかりだが、そのさりげなさが実に粋で、
また新地のクラブでも京都のお座敷でも《ふわり》という形容がぴったりなほど自然体だと誰もが言う。
そういえばご子息が大学入試に合格したお祝いに、新地の高級クラブに連れていったとか。

小学生のころから俳句をはじめ90歳を超えてもなお現役の俳人でありつづける氏は、
上方の艶麗さと洒脱さを併せ持つ”最後の粋人”である。
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ILLUSTRATED BY NANTEI
その人とは俳句結社「諷詠」の名誉主宰・後藤比奈夫氏。

後藤比奈夫の句は、対象の把握の仕方と言葉の斡旋が独特である。
独特といえばそのユーモアも、後藤氏ならではのものがある。
身の回りに存在する真実を掘り下げてゆくと、それはときに滑稽なものになるのかも知れない。
後藤氏の句は、そういうことも気付かされるから面白い。

和紙

その後藤比奈夫は、俳句についてこう述べている。

俳句は文学ではないと私は考えています。文学ではなくて、
美術、絵画、彫刻といった芸術に近いと思っています。
書いても読んでも文学というより空間芸術に近い。
俳句の時間は多くは止まっているもので決して流れていない。
そこに文学的要素を入れると流れてしまい、俳句として弱くなります。
俳句は絵を見るようにきちっと作らなければいけません。
そして俳句は心で作って心を消し去るものだと思います。


たしかに俳句は動画ではなく、スチールだ。
事物を切り取って五七五に定着させる表現方法は、写真と相通じるものがある。

また最近、こんな話をしている。

齢も九十を越えると、思いがけない体力の消耗に気づく。
体力ばかりでなく体の機能も同じである。
昨日まで分かっていたことが急に分からなくなったり、
今まで出来ていたことが急に出来なくなる。句作りにとっては致命傷。
それに負けない為に、私は心を大らかに平らかにして、くよくよしないことと決めてしまった。


昨年詠んだ句は、まことに大らかで平らかそのものではないか。

つくづくと寶はよき字宝船

後藤比奈夫は今年100歳になる。


恥ずかしながら、句集というものをしっかりと読ませていただいたのは、
この後藤比奈夫氏の「庭詰」と「沙羅紅葉」が最初で最後(もしかして)である。
しかも図書館から借りてのことであるから、俳句への志がいかに低いかお分かりであろう。


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2月 2017年02月09日 俳句 トラックバック:0コメント:18

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雪間。

『つまつま』というのは、富山の方言で「こつこつ」「地道に」という意味です。

豪雪地帯の越中ですが2月に入りますと、ところどころに雪間が表れます。
雪が解け始め、地肌が僅かに見えることを雪間といいますが、
雪国の人たちにとって一番嬉しい光景ではないでしょうか。

同級生《トッペ》の親父さんが、「仕事」を始めるのはこの頃です。
小川の泥の中で冬眠している泥鰌や鯰を捕まえて、生簀で育てるのです。
大きく育った泥鰌や鯰は、町の魚屋あるいは料理屋に卸していたそうですが、
ビタミン豊富な泥鰌や鯰は、戦後間もなくの栄養食としても重宝されていました。

身を切るように冷たい雪解けの小川で、胴付き長靴を着て、
土手の泥を丹念に探っている親父さんの姿を、学校帰りなどに時々見かけましたが、
そんな時トッペは、足早に私たちの列から離れるのでした。

父親の姿が恥ずかしかったのでしょう。

中学2年の夏だったと思います。
トッペ兄弟に誘われて生簀のある池を覗きに行きました。
池はすぐ近くにあり、生簀箱がいくつも鎖で結ばれていました。

トッペはやおら、生簀箱の鍵を開けて、中から大人の腕ほどの鰻を引きずり出しました。
鯰の口に手を入れて持ち上げるという、手馴れた扱いです。
それを持ってきたバケツに押し込んでビニールを被せ、10分ほど離れた料理屋に持ち込みました。
いくら貰ったのか知りませんが、アイスキャンデーを奢ってもらった記憶があります。

トッペの家とは隣同士でした。
鯰を盗んだ翌日のこと。
二階からトッペの家の裏庭(何もない空き地でしたが)を見下ろすと、
兄弟が離れて立たされている姿が見えたのです。

たぶん、あのことが父親にバレたのだ。とっさに思ったものです。
「共犯」という言葉はまだ知りませんでしたが、やましい気持ちに襲われたのは確かでした。
日が暮れるまで立たされていた、二つの長い影が忘れられません。

不思議なことに《トッペ》という渾名の同級生とは、その後の記憶が無いのです。



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ささやかに 2016年07月06日 俳句 トラックバック:0コメント:22

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狭庭の花。

一応、庭らしき一画があります。
ガーデンには程遠く庭園とも呼べない、なんと言っていいのか・・・
雑木と雑草がてんでに生えているような地面といっていいでしょう。

それでも四季折々に花は咲いてくれます。
ほとんど手のかからない花ばかりです。

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ごくありきたりに、紫陽花。


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通称「日の丸」と呼ばれる白槿。


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斑入りのギボウシに咲いた花。


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鉢植えですが、サフランモドキというそうで・・・


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そして、庭と駐車場を仕切る竹垣に垂れる凌霄花(ノウゼンカズラ)。


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表側にも垂れてきて、いい光景です。
自作の竹垣なので、だいぶガタがきています。
かえって侘びた風情も捨てがたいと、そのままにしているのですが。



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入梅 2016年06月07日 俳句 トラックバック:0コメント:18

梅雨の川
花見川。
総武線の「新検見川」と「幕張」の中ほどを、『花見川』という自然河川が流れている。
大河でもなく小川でもない、ほど良い巾の河川で、河口付近に護岸のコンクリートが見えるものの、
ほどなく子供の頃に親しんでいた「川」の姿になる。

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房総の都市を流れる川としては、珍しいほど郷愁を誘う河川であり、
私はこの河畔を散策するのが、安らぎの一つになっている。
両岸はサイクリングロードにもなっていて、河口からレンタサイクルで奥地までの往復を楽しむ人も多い。

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この辺り、春は桜のトンネルになる。

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川というのは当然のことだが上流へ行くに従い、文明の手が入らない風景となる。
この花見川は河口から1キロも遡ると、そういう川の原風景が色濃くなってくる。

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草木が生い茂る畔には、ところどころ釣り用の台が設えてある。
黙々と釣り糸を垂れる釣り人たちの点景は、海釣りには見られない風情がある。
この時期釣れる魚は、ヘラブナ、鯉、ボラが多いと聞いた。

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更に上流へ足を伸ばすと、「花島公園」の森林に吸い込まれる。

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深々とした緑と渓流が心地良い。

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そういえば、水遊びの季節になったのだな。


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