暑! 2017年07月14日 俳句 トラックバック:0コメント:14

夏競馬。

夏競馬

6月最終週のビッグレース「宝塚記念」が終わると、中央競馬はいわゆる夏競馬に突入します。
福島、新潟、函館、札幌など、比較的涼しい地方での開催が8月一杯は続くのですが、
近年はそれらの地方も関東並みの暑さに見舞われるようになりました。

一般的に馬というのは暑さに強い動物ですが、
真夏に人間を乗せて全力疾走しなければならないのですから、
多少涼しいとはいえ、元競馬ファンとしては気の毒に思うこともあります。

何年か前、福島競馬の中継を見ていましたが、
あるレースの発走直前、一頭の競走馬がどたり!と寝転んだことがありました。
関係者たちが慌てて駆け寄り、獣医も様子を診たようですが身体に異常はないということで、
馬もむくりと起き上がり間もなく発走しましたが、彼の着順は残念ながら記憶にありません。

「こう暑くちゃ、やってられないよ。というところですかね~」
番組ゲストのコメントが一同の笑いを誘っていましたが、
馬というのはどこか人間に似たところがあって、可笑しみのある動物なんですね。

そういえば、私が尊敬する先輩H氏はひところJRAの仕事に携わっていました。
そのH氏の話によると、競走馬も負けると非常に悔しがるそうで、
負けて帰ってきた馬房で、壁を何度も蹴飛ばして暴れると聞きました。

馬はとても感情が豊かな動物だといわれています。
最近の研究では、馬が人の笑顔や怒った顔の表情から、
ポジティブとネガティブの感情を認識できることが判ったそうです。


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隠れ里 2017年06月11日 俳句 トラックバック:0コメント:16

近江A


菅浦。

何度か琵琶湖周辺を旅したことがある。
その中で最も印象深いところといえば、菅浦という集落だろう。
白洲正子の《かくれ里》という旅の随筆で知り、是非にもと訪れたのだった。

菅浦は琵琶湖の真上の喉仏のような半島、その湖岸にへばりついた集落である。
車が無ければ非常に不便なところだが、不便でなければ「かくれ里」にはならない筈だ。

関東から行くには米原で北陸線に乗り換え、さらに近江塩津で湖西線に乗り換えて、
近江今津という駅からバスで約一時間、しかもバスは日に何本かという厄介な行程である。

この集落は奈良時代から漁業を営み、 朝廷へも魚を献じていたと伝わる古い歴史を持つ。
東西の入口には、よそ者を誰何するために四足門を構えていた。
今も四本の柱と、茅葺き屋根が残されている。

戸数は二百たらずであろうか。
にもかかわらず須賀神社という大社と、 廃寺も含めると寺院が五つ。
相当の財力を持っていた集落だということが、よくわかる。
家並みに入ると、石垣の細い道が続く。 出会うのは殆ど高齢の方だったが、みな血筋のよい顔に見えた。

その日は風のない、ぬるりとした一日で、
琵琶湖は油を流したようにさざ波さえ見えず、 まさにあぶら凪であった。

集落を一回りした後、やや離れた宿に入る。
夕食は鯉こく、わかさぎの天麩羅など淡水魚中心である。
近江の有名な郷土料理、鮒鮨も添えられていた。

鮒鮨は「なれ鮓」の一種で主に魚を塩と米飯で乳酸発酵させた食品である。
現在の寿司は酢飯を用いるが、なれ鮓は乳酸発酵により酸味を生じさせるもので、
これが本来の(鮓)の形態である。 現在でも各地でつくられている。

せんだって紹介した加賀の「かぶら鮓」、それから福井の「へしこ」などもそうである。
なれ鮓は好き嫌いがはっきりと分かれるそうだが、中でも鮒鮨は筆頭といっていいだろう。
なにより醗酵した魚の匂いが駄目、という意見が最も多いようだ。

「くさや」も同じく匂いで敬遠されるが、何かの拍子で好物に替わるという人もいる。
実は私もそうで、今では「くさや」も「鮒鮨」にも抵抗が無くなった。
理由はわからないが、提供されたときの状況が良かったのだろう。

近江B

おかげで、琵琶湖周遊への気がかりは全く無くなった。
ちなみに揚句の《淡海》は「おうみ」と読む。琵琶湖のことである。
これが転じて一帯を近江と呼ぶようになった。


ここで載せた写真は、デジカメがまだ高価で普及していない頃、
フジフィルムの使い捨てカメラで撮影したものである。
梅雨時の菅浦は、映した写真すべてが靄の中のようにぼやけてしまった。

二枚目の町並みは、彦根城下にある「夢京橋キャッスルロード」。


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今年の 2017年03月23日 俳句 トラックバック:0コメント:18

椿。

今年は梅もそうだけど、椿の花が例年以上に多く咲いた。
散った椿の花は、根元に累々と横たわる。
艶やかで酷いほどの光景。

そういえば神蔵器氏に、このような句がある。

石棺に椿の真紅したたれり

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ツバキは古代から、めぐりきた春の喜びを伝える代表的な木である。
ツバキに「椿」という字をあてるのは、ちょうど、エノキを夏の木と見立てて「榎」とやり、
ヒイラギを冬の木に見立てて「柊」とやったのと同じ伝で、日本で新作したつもりだった。

ところが実は、中国にも「椿(ちん)」という字があって、これは日本でセンダンといっている植物をさしていた。
そのことを知らなかったらしい。
中国の「椿」の字は「長く久しい」の意味にも使い、長命のことを「椿寿(ちんじゅ)」などとといっている。

金田一晴彦「言葉の歳時記」より。

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一方、武家政権の時代、椿は縁起の悪い花とされていた。
椿は散る際、花のままポトリと落ち、まるで首を落とされる様なので武士達からは嫌われており、
家紋に使われる事も避けられていた。


椿



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2017年03月13日 俳句 トラックバック:0コメント:24

最後の粋人。

出版社に送られた氏の原稿からはいつも、ほのかに良い香りが漂ってくるという。
編集者が氏に尋ねたところ「はてね?」と笑う。
お嬢さんが横合いから「父はずーっとシャネルを使っているんです」
氏は照れて「汗を掻きそうなとき、たまにです」

身の回りにあるのは全て趣味の良いものばかりだが、そのさりげなさが実に粋で、
また新地のクラブでも京都のお座敷でも《ふわり》という形容がぴったりなほど自然体だと誰もが言う。
そういえばご子息が大学入試に合格したお祝いに、新地の高級クラブに連れていったとか。

小学生のころから俳句をはじめ90歳を超えてもなお現役の俳人でありつづける氏は、
上方の艶麗さと洒脱さを併せ持つ”最後の粋人”である。
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ILLUSTRATED BY NANTEI
その人とは俳句結社「諷詠」の名誉主宰・後藤比奈夫氏。

後藤比奈夫の句は、対象の把握の仕方と言葉の斡旋が独特である。
独特といえばそのユーモアも、後藤氏ならではのものがある。
身の回りに存在する真実を掘り下げてゆくと、それはときに滑稽なものになるのかも知れない。
後藤氏の句は、そういうことも気付かされるから面白い。

和紙

その後藤比奈夫は、俳句についてこう述べている。

俳句は文学ではないと私は考えています。文学ではなくて、
美術、絵画、彫刻といった芸術に近いと思っています。
書いても読んでも文学というより空間芸術に近い。
俳句の時間は多くは止まっているもので決して流れていない。
そこに文学的要素を入れると流れてしまい、俳句として弱くなります。
俳句は絵を見るようにきちっと作らなければいけません。
そして俳句は心で作って心を消し去るものだと思います。


たしかに俳句は動画ではなく、スチールだ。
事物を切り取って五七五に定着させる表現方法は、写真と相通じるものがある。

また最近、こんな話をしている。

齢も九十を越えると、思いがけない体力の消耗に気づく。
体力ばかりでなく体の機能も同じである。
昨日まで分かっていたことが急に分からなくなったり、
今まで出来ていたことが急に出来なくなる。句作りにとっては致命傷。
それに負けない為に、私は心を大らかに平らかにして、くよくよしないことと決めてしまった。


昨年詠んだ句は、まことに大らかで平らかそのものではないか。

つくづくと寶はよき字宝船

後藤比奈夫は今年100歳になる。


恥ずかしながら、句集というものをしっかりと読ませていただいたのは、
この後藤比奈夫氏の「庭詰」と「沙羅紅葉」が最初で最後(もしかして)である。
しかも図書館から借りてのことであるから、俳句への志がいかに低いかお分かりであろう。


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2月 2017年02月09日 俳句 トラックバック:0コメント:18

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雪間。

『つまつま』というのは、富山の方言で「こつこつ」「地道に」という意味です。

豪雪地帯の越中ですが2月に入りますと、ところどころに雪間が表れます。
雪が解け始め、地肌が僅かに見えることを雪間といいますが、
雪国の人たちにとって一番嬉しい光景ではないでしょうか。

同級生《トッペ》の親父さんが、「仕事」を始めるのはこの頃です。
小川の泥の中で冬眠している泥鰌や鯰を捕まえて、生簀で育てるのです。
大きく育った泥鰌や鯰は、町の魚屋あるいは料理屋に卸していたそうですが、
ビタミン豊富な泥鰌や鯰は、戦後間もなくの栄養食としても重宝されていました。

身を切るように冷たい雪解けの小川で、胴付き長靴を着て、
土手の泥を丹念に探っている親父さんの姿を、学校帰りなどに時々見かけましたが、
そんな時トッペは、足早に私たちの列から離れるのでした。

父親の姿が恥ずかしかったのでしょう。

中学2年の夏だったと思います。
トッペ兄弟に誘われて生簀のある池を覗きに行きました。
池はすぐ近くにあり、生簀箱がいくつも鎖で結ばれていました。

トッペはやおら、生簀箱の鍵を開けて、中から大人の腕ほどの鰻を引きずり出しました。
鯰の口に手を入れて持ち上げるという、手馴れた扱いです。
それを持ってきたバケツに押し込んでビニールを被せ、10分ほど離れた料理屋に持ち込みました。
いくら貰ったのか知りませんが、アイスキャンデーを奢ってもらった記憶があります。

トッペの家とは隣同士でした。
鯰を盗んだ翌日のこと。
二階からトッペの家の裏庭(何もない空き地でしたが)を見下ろすと、
兄弟が離れて立たされている姿が見えたのです。

たぶん、あのことが父親にバレたのだ。とっさに思ったものです。
「共犯」という言葉はまだ知りませんでしたが、やましい気持ちに襲われたのは確かでした。
日が暮れるまで立たされていた、二つの長い影が忘れられません。

不思議なことに《トッペ》という渾名の同級生とは、その後の記憶が無いのです。



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