小樽 2017年10月27日 紀行 トラックバック:0コメント:18

2009年。

8年前の丁度今頃である。ブログを始める前のことであった。
どうしても小樽に行きたくて、小樽と函館がセットになったツアーを申し込んだのだ。
小樽は私の伯母と叔父が住んでいたところである。

戦中に結婚した伯母と叔父はすぐ満州へ赴任することになった。
やがて現地で敗戦を迎えるのだが、突如侵攻してきたソ連軍から逃げる途中、掴まってシベリアに抑留された。
伯母は一年後、極寒の地で病死したという。

叔父はシベリアで強制労働の何年かを送り、凍傷で片脚を失いながらも、
生きて日本の土を踏むことが出来たのだった。

帰国後も叔父は小樽に住んで、某大手メーカーに勤務していたようだが、
その後札幌に移り15年ほど前、亡くなっている。
叔父は何度か富山の祖母(伯母の母)を訪れていた。

どんな話があってのことか、子供の私には全く判らなかったが、
叔父が来訪するたび、祖母は見たこともないようなご馳走を並べて歓待するのだった。
だが結局、伯母、叔父とのあれこれはそれ以上を聞くこともなく、祖母は他界してしまったのである。

小樽を尋ねてどうなるというものでもないが、25歳の若さで悲しい死を迎えた伯母が、
半年でも住んでいた町、そしてどんな思いでその後を生きて来ただろう、叔父が住み続けた町の、
空気だけでも吸ってみたいと切望したのである。

小樽には来てみたものの、格安ツアーのかなしさ。
滞在わずか2時間足らずで、支笏洞爺方面へ移動させられたのだが、
時間の許す限り小樽を歩き回って、二人が住んでいた街の匂いを胸に仕舞い込もうと思ったのである。

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晩秋の小樽は、どんよりとした雲に被われ、そのためもあってか年甲斐もなく感傷的になる。

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しかし、北の大地は広大で、なべてスケールが巨きい。

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「北海道の人は声がでかいと言うけど、隣の家と50mも離れていると自然、声が大きくなるんよ」
と、よく話していた祖母(祖母は北海道育ち)の言葉を、改めて思い出させてくれた。

そして函館へ。

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いくつもの教会塔が目立つ、異国情緒に溢れた街だった。

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絵葉書そのものの夜景。

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旅の終わりに素晴らしいプレゼントが・・・
トラピスト修道院のマリア像、その頭上に夕陽が落ちようとしていた。
丁度いい時間にこの場へ立たせてくれたのは、偶然でないような気がしたのである。


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初秋の 2017年09月22日 紀行 トラックバック:0コメント:22

箱根。

友人夫婦と、どこか行こうということになった。
一緒に台湾旅行に行ったのが2年前、その後わが家で遊んだりはしていたが、
旅行に出かけるのは久方ぶりである。

お互い歩けるうちに楽しい思い出を作りましょう、ということで旅のプランはまたまた友人任せ。
メールでいくつか候補地を送ってもらったが、これも選択はお任せ。あははは。
で、決まった行く先は箱根だった。

箱根の温泉に入って美味いものを食べようというのが目的で、あとは成り行きの観光になった。

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芦ノ湖。

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箱根関所跡。

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ラリック美術館。

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奇妙な蕎麦屋。

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仙石原。

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そして圧巻の大涌谷。

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一昨年の噴火以来、硫黄煙の吹き上がりが続き、現在も毒煙に対する用心のためウェットテッシューが配られている。

露天

泊まりは仙石原温泉。
大涌谷からの源泉を引いている数少ない温泉らしい。
(写真は、ホテルのHPよりお借りしました)

とりとめのない箱根観光だったが、旅先で酌み交わす酒は格別であった。
黒玉子
生卵を温泉池でゆでると殻に鉄分が付着する。
これに硫化水素が反応して硫化鉄となり、黒い殻のゆで玉子ができあがる。
中でも大涌谷の「黒玉子」は箱根名物になっている。


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白銀週間 2016年09月22日 紀行 トラックバック:0コメント:24

ふらり大磯。

18日、22日と飛び飛びに祝日がある今週を、シルバーウィークと呼ぶそうだ。
一年中日曜日のような私には、何の祝日かさっぱり判らなかったが、
どうやら「敬老の日」と「秋分の日」が続く週らしく、
それで春の「ゴールデンウィーク」に対して「シルバー」と付けたのだろうか。

あいにくシルバーウィークの日本列島は大型台風と秋雨前線の影響で、ほぼ一週間、雨の多い天気だという。
秋の行楽を楽しみにしていた方々には、気の毒なことである。

一日中日曜日の私と言ったが、やはり一週間も家でくすぶっているのはたまらない。
比較的雨が少ないだろうというある日、大磯を散策することにした。
小さな町だし何度も歩いたところだから今更とは思うが、雨の「鴫立庵」も悪くないと思ったのである。

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大磯駅から国道に出ると、向かい側に茅葺屋根が見える。
西行法師がこのあたりの海岸を吟遊して
こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮
という名歌を残したことはよく知られているが、その歌と西行を記念するために、
寛文年間、小田原の崇雪という僧がこの地に草庵を結び「鴫立庵」と名付けて今日に至っている。

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敷地内には多くの歌碑や句碑が立っていて、中でも目を引くのは芭蕉の句碑である。
西行法師を慕っていた芭蕉は、ここを訪れて次のような句を詠んだ。

はこねこす人もあるらしけさの雪

みのむしの音を聞に来よ草の庵


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鴫立庵を出て平塚方向に歩く。大磯は駅周辺と国道沿いにぽつぽつと商店が並ぶ静かな町である。
だがそれらの店は100年の歴史を持つ老舗が多い。

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「井上蒲鉾店」は明治11年創業。《いしもち》を使ったはんぺんは絶品である。
すぐ近くには明治38年創業の豆腐屋「まかべ」。
伊藤博文はじめ政財界の大物たちも、好んでまかべの豆腐を買いに来たという。

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その向かい側には西行饅頭で名高い「杵新(明治40年)」が、当時の佇まいのまま営業している。

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それらに比べて少し新しいが昭和3年からという鰻の「國よし」。
鰻重が6000円か・・・ぶつぶつ言いながら通り過ぎる。

少し離れて駅の近くには創業百年という、格式のある料亭「松月」。
明治の元老の別邸をそのまま使った懐石の「翠渓荘」があるかと思えば、粋な造りの鳥料理「杉本」などなど。
人口三万人の小さな町にしては、敷居の高そうな料理屋が多いのも別邸で栄えた大磯らしい。

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更に平塚寄りへ歩くと、大磯で最も古い(明治3年)旅館「大内館」が見えてくる。
この敷地内に旅館の蔵を改装したカフェがある。その名も「蔵にて」。
大磯で飲食しようと思えば、珈琲が精一杯の私である。

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2年前にも入ったが、太い梁そのままの高い天井が心地良い。

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カップ&ソーサーの棚も、見事なインテリアになってる。

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ドトールなら3杯以上飲めるであろう値段の珈琲は、不味かろう筈がない。
と、貧民は思いつつ・・・。

「蔵にて」を出た南亭はケータイを取り出した。娘に連絡するためである。
「えーっと、鴫立庵に来たんだけど。鴫立庵を見たくてね。あくまでもだよ。
で、ちょっと寄っていいかい?なに、少し休ませてもらおうと思ってね。
いやいや、すぐ帰るから何もしなくていい。すぐ帰るから。ほんと。」


で、とどのつまり・・・

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素敵な昼ご飯をご馳走になったのである。
ビーツとモッツアレラのサラダ、牛すね肉のシチューとフランスパン。そしてワイン・・・。
料理は全て作り置きのものだそうだ。


「すぐ帰るから」からが、ワインの酔いも手伝い、
夕方までへらへらしていた南亭であった。

くどいようだが、あくまで鴫立庵を見に来たのである。


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とりあえず 2016年03月26日 紀行 トラックバック:0コメント:36

伊豆へ。
一昨年、東北・北海道を旅して以来、温泉地に行ってないわけですが、
ご当地の千葉は残念なことに、温泉不毛地帯ですから、
近場で行くとしたら那須塩原か山梨の石和、そして伊豆箱根しかありません。

そろそろ温泉に浸かりたいな、とあれこれ考えた末、いちばん行き慣れた伊豆にしようと思ったのです。
一番の希望は「修善寺温泉」でしたが、意外に遠くまた敷居が高そうなので、考えた末に選んだのが熱海でした。
熱海に行った最後が40年前の社員旅行でしたから、ずいぶん昔のことですね。

熱海のイメージはまさに社員旅行か団体の慰安旅行でしょう。
時代は変って社員旅行そのものが減り、もしあっても温泉地には出かけないようです。
なので特に熱海などは客足が遠のいて、廃業する旅館が多いと聞きました。

一方で、非常に手軽な料金で泊まれる旅館やホテルの増えているのが、熱海なのですね。
まわりくどく書きましたが、要するにお安く温泉旅館に泊まれるという案にとびついたわけです。

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廃れたといっても東洋のナポリと謳われた熱海の夜景はまだまだ美しい。
最近では若い人が訪れるようになり、また芸術家たちも移住してきて、少しずつ活気が戻ってきたといいますが、
熱海での話はこれまでにして・・・。

伊豆に来たからには、やはり。
大磯に立ち寄らなければウソですよね。
本当はそれが最もの目的だったりして・・・アハハハ。
ま、今年は桃の節句に行けなかったこともあってですがね。

大磯に着くとさっそく、素敵なお店のランチを予約しておいたということ。
娘の奢りだというので、こりゃ雪でも降らないかな、と。ハハハ。

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表通りから入った非常に判り辛いレストランで、言ってみれば隠れ家的な店といっていいでしょう。
場所も判りづらいけど、店名も覚えにくい。「Apicc Rlous」・・・ナヌ???
オーガニックな創作料理が人気で、女性店主が週一開催する料理教室には娘も時々通っているという。

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前菜の七品は全て野菜中心、スープは蕪らしいです。

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メインディッシュは魚、豚肉、鶏肉から選べるということで、スズキのなんちゃらに・・・あはは。

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デザートは抹茶ゼリーのあんみつですかね。

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ともあれ、外食といえば饂飩か蕎麦、あるいはラーメンのジジババには、夢のようなランチでございました。

そしてもう一つ、何よりのおもてなしが、これ!

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今のお気に入りは、キッチン遊びだそうです。

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珠姫、まもなく二歳。

骨休めというより、何かと忙しいここ一週間でしたが、
珠姫のおかげで腰の痛みが治ったような、そんな爺バカであります。



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南亭的紀行的話(五) 2015年04月25日 紀行 トラックバック:0コメント:26

台湾八景的淡水。
八景に上げられている所は、近年少々変ってきたそうだ。
若者に人気がある超高層ビル101や、海外からの観光客が集中する故宮などが八景入りしている。

しかし一昔前までは八景といえば、
中正公園、八仙山、日月潭、阿里山、高雄の寿山、鵝鑾鼻、太魯閣峡、そして淡水だったという。
淡水は台北市街を流れる淡水河、その河口の町だ。

「東洋のベニス」とも称されて、その夕陽は台北地区を代表する風景だと聞いた。
旅の最後は、淡水の日没をゆっくり眺めようという話になった。

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淡水の中心街も台湾的な色合いは変わらないが、河口の町らしく魚介類を並べた店が目立つ。
これは市場の食事が楽しみだ。

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水辺に出ると風景は一変する。リゾート地といっていいのかわからないが、
洒落たカフェやレストランが水辺に並ぶ光景は、これまでの台湾のイメージを覆すものだった。
日没までにはまだまだ時間がある。山手にある紅毛城を見学する。

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紅毛城は1626年、スペイン人によって建設された要塞だ。

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正しくはセント・ドミニカ城。後にイギリス領事館となった。

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再び河口に戻ると日はだいぶ傾いてきた。
可愛らしい珈琲館で夕陽を待つ。

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この時間、眺めのいい店でねばっている人々は、殆んどが日没を待っている。

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やがて我々は6時出港の周遊船に乗った。

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水上から見る淡水の町並みは、夕陽に映えて美しい。

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沖に出ると・・・
旅の終わりを飾るにふさわしい、見事な夕陽だった。

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淡水に舟漕ぎ寄せよ蜷(ニナ)食はん
(南)


精読謝謝。




会計係Yさんの細君によれば、四日間の交通費・食事の出費は一日一人頭3000円弱ということだった。
素晴らしい!
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最後に、旅のお膳立てから現地での案内、また交渉ごとに至るまで、Yさん夫妻にはすっかりお世話になった。
この場を借りて、改めて感謝。


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