^^))) 2017年08月19日 雑話 トラックバック:0コメント:28

どーるはうす。

ままごと遊びの延長線にドールハウスというのがあります。
ドールハウスには幼児向きから大人向けまでさまざまあるようで、
娘もそのコースを歩んできました。

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今回お見せするのは、幼児向きのドールハウスです。
家具はだいたい色付きで、可愛らしい。

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食器や野菜・果物、目玉焼き、ケーキなどは連れ合いが作ったものです。

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相当に楽しんで作っていたようです。

そのうち本来のドールハウス、すなわち英国風のウッディなもので遊ぶようになり、
これらにも次第に手をつけなくなったのは、自然のことでしょう。

お盆に娘一家がやってきて、そういえばあのドールハウスはどうした?と言います。
納戸の奥から取り出した幼児向けのドールハウスは、
30年ぶりの光を浴びて、眩しそうでしたが小さなバナナに至るまで当時のままです。

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テーブルに広げたそれらの家具や食器、
そして食べ物たちに珠姫が目を輝かせたのはいうまでもありません。

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雛人形もそうですが、このドールハウスも再び日の目を見たわけで、
女孫がいて良かったと、他愛なく喜んだじいじ、ばあばでした。
しかし、お人形には見向きもしなかったのが不思議といえば不思議です。



珠愛はこの五月で満3歳になりました。おかげさまで逞しく?育っています。
春から幼稚園に通っていて、あまり楽しくないといいますが英語の時間だけは好きなようです。

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この日、じじばばの顔を見たとたん、
「ワッチャネーム?」
と、きたもんです!!



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義兄 2017年06月26日 雑話 トラックバック:0コメント:14

山、酒、俳句。

一番上の義兄が亡くなったのは、今年4月14日のことだった。
4人いる義兄の中で最も敬愛する人だった。
山を愛し、酒を愛し、俳句を愛した自由人だった。

まず、義兄は筋金入りの山男で、名だたる名山はもちろんのこと難所中の難所、
谷川岳の一の倉沢を何度も踏破した猛者であり、
酒については学生に語り継がれるほど、有名な酒徒だったという。

その義兄が二冊の本(非売品)を出版している。
《松尾芭蕉の像を探す旅》、その前・後編である。
その巻頭で義兄はこう述べている。

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高校二年の夏休み、「奥の細道」について調べることが宿題に出された。
その後、物理学を専攻し高校で物理学を教えた。
「物理学は簡単な数式で自然現象を表す。この驚き、感動はまさに美である。
物理学も俳句も自然美を追求している。山旅も同じではないか」
定年を前にすると、再び芭蕉が気になった。
何年か前、東京・深川にある芭蕉記念館を訪れた。
帰途、海辺橋を渡ってすぐの採荼庵(さいとあん)跡の前を通ったとき、
縁側に腰を掛けた姿の芭蕉像を見つけた。
ふと思った。「ほかにどんな像があるのだろう」
芭蕉に関する本を読みあさった。句碑の一覧はあったが像のはなかった。
「それじゃあ、自分でつくってみよう」と思い立った。
この機会に俳句を始めた。


東北から岡山県まで個人所蔵も含めて83体の芭蕉像を訪れ、写真に収めた。
一挙に巡ったのではなく、何箇所かづつ数年かけて旅したと聞いた。

写真には当然説明文と、義兄の句が付けられている。

矢立持つ翁に西日傾けり

南谷沼べの苔の日照りかな

時雨忌や不易流行柘植の郷


隔月刊の俳誌「俳句α」の常連でもあった義兄の句は、いつも力みなく大らかだった。
義兄とは何度も酒の席で一緒になったが、俳句の話は一切したことがない。
私の方が恥ずかしかったのである。
こねくり回した句ばかり作っていたからである。

「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」
西行のこの歌が大好きだった義兄は、まるで桜の終わりを見計らったように逝ってしまった。

義兄で忘れられない出来事がある。
それは・・・
雲取山顛末記を読んでいただきたい。


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!! 2017年06月01日 雑話 トラックバック:0コメント:14

医者が絶対飲まない薬。
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ILLUSTRATED BY NANTEI

年齢とともに、薬の量が増えてまいります。
それほど体のあちこちに支障をきたしてくるわけですが、
同時に何でこんなに?と思うほど多種大量の薬品を服用する方が多いことにも、驚かされます。

聞くところによりますと、何種類もの薬をきちんと管理できるご老人は少ないといいます。
間違って同じ薬を何度も飲んだり、飲み忘れた薬が貯まる一方だったり・・・
まして、認知の症候が見える方はたいへんです。
家族がしっかり管理してあげないと、飲み忘れによる症状の進行や、
飲みすぎの副作用が懸念されます。

しかし、効き過ぎる薬というのも怖いものです。
たとえば睡眠誘導剤。
半錠飲んだだけで20分後には前後不覚になっているのですから。

そんな効力あらたかすぎる医薬品ですが、
現場の医師が絶対飲まないという薬の一覧があります。
もしかしたら、この他にもありそうですね。

薬害

※週刊現代より

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タックル 2017年05月24日 雑話 トラックバック:0コメント:22

お手入れ。

半分、畑を閉じた状態になると、時間を持て余すようになった。
そこで思い出したのは、釣りである。

釣りを始めたのは仕事がきっかけだった。
釣具を輸入している会社を担当しろ、と命じられたからである。
釣りなどしたこともなければ関心もなかった私は戸惑ったが、命令とあれば仕方がない。
やがて、仕事がらみの釣りが多くなり、それなりの半可通となった。

この会社が輸入している釣り具は、スポーツフィッシング用だった。
欧米の釣りは漁ではなく、殆どがスポーツといっていいだろう。
代表的な釣りがルアー&フライフィッシングだが、いずれも疑似餌で大型魚とのファイトを楽しむ。
湖沼・河川ではブラックバス、レインボートラウト。海ではカジキマグロ、スズキ、カツオなどが対象魚である。

わが国では故・開高健が世界中を釣行し、『オーパ』他の釣り文学を発表したことによって、
スポーツフィッシングは一躍脚光を浴びたのだった。

開高

私はもっぱら芦ノ湖、中禅寺湖、または東金の沼でブラックバス、トラウトを狙い、東京湾ではスズキを標的にしていた。
その間、自慢するような釣果は無かったが、それなりにルアーを満喫していたのである。

しばらくして、輸入会社の仕事を離れた私は、千葉港に近いところに越してきたため岸壁釣りが多くなった。
ファイトからは程遠い、鰯や鯵といった小魚をだらだらと釣るようになったのである。
しかし、畑が佳境を迎えるにつれて港へ行く機会が少なくなり、
また千葉港自体が「テロ防止のため」とかいう、意味不明の理由で大半を封鎖してしまったため、
とうとう釣竿もリールも、その他もろもろの道具も納戸で逼塞する羽目となった。

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ところが冒頭のような事態になったため、六年ぶりに引っ張り出したのである。
即、釣りに出かけるわけではないが、先ずは手入れをしなければならない。
特にリールの中は錆がきていることだろうから、油を差してギヤの回転をスムーズにするのが先決だ。

そのほかルアーの錆、針の錆も点検して捨てるものは捨て、
磨きをかけるべきは磨き、と、久々に釣り人的一日を過ごしたのである。

とはいうものの、私は道具に凝るほうではないし、拘りも全くない人間だから、
竿もリールもブランドで選んだわけではなく、機能をよく学んで買ったわけでもない。
大概、リサイクルショップで買ったものばかり。

それら道具も、殆どを釣り好きな婿どのに強奪され差し上げてしまい、
残った竿とリールといえば先ほどの写真だけとなってしまった。

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その中で、このキャスティング・リールは、唯一出所の正しいタックル(釣り道具)なのだ。
なんと輸入会社の社長からプレゼントされた、米国シェイクスピア社製の名品なのである。
いまの言葉でいえば、レジェンド?
だから婿殿といえどもぜったいに、あ、げ、な、い!ワハハハハ

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これはベイト・リールという。「太鼓リール」とも呼ばれているが、現在主流になっているリールである。
なによりパワーがあり、大型魚とのファイトに最適だが、鰯、鯵釣りにも人気があるようだ。
それは、糸を巻き上げる時の「ギリギリギリギリ・・・」という頼もしいギヤの音だという人が多い。
ちなみにこのリールはなんと、フリーマーケットで800円だった!
何度もいう、800円!!

釣りは竿とリールだけでは出来ないこと、ご存知だろう。
糸も錘(おもり)も必要なわけで、それも条件によって太さや重さが千差万別である。
その他「浮き」「;こませ袋」;など小道具は限りない。

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そういったちまちました小物を入れて持ち歩くために、タックルボックスという整理箱がある。
当然、私もそれなりの整理箱を使っている。
この中でこれから役立つのは、糸と針と錘だけであろう。

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ただ長年親しんできたルアーたちが居る。
今後、活躍する機会は殆ど無いだろうが、思い出のタックルとしてここで保存しておこう。

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千葉港での釣りは小物ばかりだったが、一度こういう僥倖に恵まれたことがあった。
小さくても鯛である。

畑が無くても釣りがある。

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2017年05月15日 雑話 トラックバック:0コメント:10

ともちゃん二世。

連れ合いが、娘に作ってあげた人形は二体あった。
そのうちの一体が「ともちゃん」である。

娘はこの「ともちゃん」と遊ぶことが殆どだったから、
自然「ともちゃん」はぼろぼろになってしまった。

その娘が人形遊びを卒業して30年以上になる。
人形は納戸のわけのわからない所で、わけがわからなくなっていた。

遅く生まれた二番目の孫が女の子だったから、
連れ合いはいそいそと納戸から「ともちゃん」を探し出してきた。
化粧をし直して孫にも可愛がってもらおうと、思ったのだろう。

しかし、抜けた髪の毛は植えることはできるが、
いくつもの濃い染みは、洗って消えるものではなかった。

そこで連れ合いは新しい「ともちゃん」を創り始めたのである。
顔を入れるのは私の仕事だった。
なおかつ「初代ともちゃん」と瓜二つにせよとの厳命である。

エナメル絵の具だから、失敗したら描き直せばいいというものではない。
脂汗とともに顔を描き終わったら、呼吸不全になりそうだった。

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孫に初めて「ともちゃん二世」を見せたのは一歳半の頃だが、
二三回振り回して、ほっぽり出してしまった。
人形を気持ち悪がる幼児も多いので、無理に押し付けないほうがいいという。

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今年の初春に来たときは、無理やり背中に背負わされて、
それでもご機嫌だったから、人形遊びが出来るようなお年頃になったのだろう。

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ただ、連れて帰りたいとは言わなかったそうで、
欲しがるまではまだ家に置いておこうということになった。

本当のところ、造った連れ合いが手放したくないのかも知れない。




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