OH ! INDIA 2017年02月16日 面白 トラックバック:0コメント:10

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テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

理屈抜きに 2016年12月26日 面白 トラックバック:0コメント:8

大笑い。

このシリーズが大好きで、
入院中も、夜中に放映していたものですから、
笑いを堪えるのに必死でした。

ま、この程度の頭です。






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泣き笑い 2016年07月17日 面白 トラックバック:0コメント:12

笑い泣き。


昔、中野の丸井近くにあった喫茶店でのこと。
ここはよく打ち合わせに使っていた所だが、コカコーラに次いでジンジャーエールという飲料が出回った頃だった。
カナダドライとも呼ばれていたが、さっそくアルバイトのおねえさんに「ジンジャーエール3つ」と指を立てたのである。
しばらくして戻ってきたおねえさん。

「あのー、お客さま、申し訳ありません。「ジン」ならありますが「ジャエル」が無いそうです」

アルバイトのおねえさんもさることながら、
ジンジャーエールを知らないマスターが、まだ東京に居たのである。
70年代のことであった。


南亭にも、ひりひり笑うようなアルバイトの経験がいくつかある。
中でもこれは、強烈な思い出だ。

夏休みのアルバイト先にと紹介してもらったのが、大きな魚屋で。
だいぶ離れたところにある冷凍倉庫から、魚の箱を自転車に積んで店まで運ぶのも仕事のひとつだった。
冷凍倉庫の心臓が止まるほどの冷気の中で、指定された魚、例えば鯵や烏賊などの箱詰を取り出すのである。

倉庫を出ると北陸特有のイヤな暑さがまつわりついてくる。十箱ほど自転車の荷台に積む。
倉庫と外気の気温差が50℃以上あるから、もうろうとした中で荷物をくくる。
当然、時にはゆるいくくり方になってしまう。

店までの途中に長い下り坂があって、ある時その坂の途中で魚の箱をブチ撒いてしまったのである。
紐が緩かったに違いない。箱のあらかたが地面に落ちて魚が散乱してしまった。
灼熱の地面だから早く拾わないと冷凍魚が解け始める。

冷や汗とほんものの汗でべとべとになりながら、魚を拾い集めてやっとの思いで店に戻ったのである。
隠してもすぐばれることだから顛末を話して謝ると、おやじはこう言った。
「お前がこの魚ぜんぶ買うか?」


そのあと「いいよ、すぐ開いてフライにすっからさ」。魚屋は惣菜屋も営んでいたのだ。
私はどうしたかというと、翌日から無断欠勤したまま顔を出すこことはなかった。
電話の無い頃だったから沙汰無しで過ぎてしまったが、三日間はタダ働きになったのである。


喫茶店でアルバイトしてたときの話さ。
朝、店に出たらマスターから電話があって、遅れるって言うんさ。
参ったなってカウンターの中にいたら、さっそくじじいの客がやってきてよ。
ウィンナコーヒーっていうじゃない。
知らねえもんな。ウィンナコーヒーなんて。田舎から出てきたばっかだからさ。

で、どうしたと思う?
見よう見まねでコーヒー淹れて、炒めたウィンナソーセージをそん中に入れたのさ。
あははは!ウィンナコーヒーに違いねえべ。

それがよ。そのじいさん、なんも言わねえでソーセージ齧ってコーヒー飲んでやがんの。
いやいや、ほっとしたさ。
しかし、あとでウィンナコーヒーってのはなんだ、って知った時、
なんだあのじいさんも、田舎もんじゃねえかってね。
いやあ、自分を棚に上げてよ。笑っちまったなあ!


これは、吉幾三が笑いを取るためによく持ちだすネタである。
本当かどうかは疑わしいが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようなトホホの話は無尽蔵にある。
アルバイトはもちろん、昔の新入社員は充分な社員教育も無しに、現場に抛り込まれたのであった。
何度も恥を味わうことによって、一人前の勤め人なっていった時代であった。


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せめてもの 2016年02月19日 面白 トラックバック:0コメント:28

連絡帳。

勤め人だった頃の私は、ひどい時には年の半分近く出張暮らしで、
そうでないときは殆んど午前1時を回って帰宅していた。
だから家族との団欒なんて正月と夏休み以外はほとんど記憶にないという、 ダメ夫だった。

少しは後ろめたい気持ちがあったのだろう。
あるとき急に「連絡帳を用意したゆえ、言いたいことがあったらここに書くがよい。拙者も書く」
と宣言してその日からめいめい書くようにしたのだが、いつまで経っても白紙のままである。

仕方がないからある晩、酔って帰ってきた拍子に漫画を描いておいたら、
翌日やけに受けてそれ以降は連絡帳ならぬ漫画帳になってしまったのである。

そんな漫画帳の中からの第六弾。

img110.jpg

昭和60年ごろだったか、東京は20センチ以上の積雪となった。
朝は晴れていたものだから、傘を持たずに出社したのだが、
仕事を終えたのが深夜となり、外は予想外の大雪となっていた。

最終間近の地下鉄から降りた我が町は一面の銀世界で、更に重たい雪が降り続いていた。
人影ひとつ見えない通りを雪まみれになって歩いていたら、
突然、頭の中で鳴った音声があった。

その頃よく流れていた《ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんと、ぽっちい》という「金鳥どんと」のCMだった。
ロシア風の人名をもじりながら、連絡帳に書きこんだのがこのイラストである。
家族の同情を引こうとする目論見もあってのことである。



過去の連絡帳
第五弾
第四弾
第三弾
第二弾
第一弾

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異端の漫画家 2015年12月09日 面白 トラックバック:0コメント:12

杉浦茂。
杉浦茂(1908-2000)は田川水泡に師事した後、漫画家としてデビューした。
戦前はユーモア漫画や教育漫画を手掛けていたが、戦後は奔放な作風となり、
折りからの西部劇ブームに乗って『ピストルボーイ』『弾丸トミー』など、
ギャグに満ちたウエスタン物で注目されるようになった。

杉浦1

やがて忍者物に新境地を見いだし、ナンセンスでシュールなその世界によって異端の作家と称された。
『猿飛佐助』や『少年地雷也』などが代表作である。

杉浦3

私はこの『猿飛佐助』で杉浦作品の洗礼を受けた一人だった。
少年が喜ぶ単純でまた奇天烈なギャグと、奇怪なキャラクターたちにすっかり嵌まってしまった時期がある。

杉浦4

杉浦5

杉浦6

その後手塚治虫や石森章太郎、あるいは水木茂しげる、赤塚不二夫といった多彩な作家が続出するにつれて、
杉浦茂の漫画は次第に世の中から忘れ去られていったが、その独特の世界観を持った作品は、
時代を先取りしていた点で、細野晴臣や宮崎駿など多くの文化人にも影響を与えたのである。

杉浦2





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