伝説のピアニスト 2017年04月15日 音楽(古典) トラックバック:0コメント:12

BERMAN.jpg
ILLUSTRATED BY NANTEI
ラザール・ベルマン

リヒテルと私が4本の手で演奏してもベルマンにはかなわない。
エミール・ギレリスにそう言わしめた超人がいた。
それがラザール・ベルマン(1930-2005年)というピアニストである。
エミール・ギレリスとスヴャトラフ・リヒテルは、ともに20世紀を代表するピアニストだった。
その二人が驚嘆したラザール・ベルマンとは、どんなピアニストだったのだろうか。

レニングラードで生まれたベルマンは、2歳から母の手ほどきでピアノを弾き始め、
7歳で自作のマズルカをレコードに録音したという伝説を持つ。
しかし、その存在は西欧世界では殆ど知られていなかった。

それはベルマンの演奏活動が、ソヴィエトと東欧に限られていたからであり、
録音された音源もどういう訳か西欧圏に出ることがなかったからである。
ソヴィエトには巨大なピアニストがいるという噂が広まったのは、ベルマンが40歳を過ぎてのことであった。

そして1976年、ついに幻のピアニストがヴェールを脱ぐ時がやってきたのである。
それはアメリカ・オハイオ州のマイアミ大学でのデビューリサイタル。
ラザール・ベルマン45歳のことであった。

全国誌の音楽記者、音楽評論家たちが、マイアミ大学にかけつけた。
ベルマンのデビューは2大紙の「タイム」と「ニューズウィーク」に写真入りで取り上げられ、
アメリカ中の音楽愛好者の興奮をいやが上にもかき立てたのである。

このデビューリサイタルの後、ベルマンは引く手あまたとなり、
ドイツ・グラモフォンやEMI、CBSらが奪い合うようにして録音に起用するようになった。
初来日は1977年。日本のクラシックファンにも衝撃を与えたのは当然である。

私はその後発売されたアルバム「PLAYS LISZT」で、ラザール・ベルマンの洗礼を受けたのだが、
地響きするほどの、すさまじい演奏に放心状態となったものだ。

今回聴いていただくのは、その「PLAYS LISZT」からリストの超絶技巧練習曲4番「マゼッパ」。




スポンサーサイト

テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

レッテル(Ⅱ) 2017年01月22日 音楽(古典) トラックバック:0コメント:8

ヴェルディ
Giuseppe Verdi
ILLUSTRATED BY NANTEI

人はレッテルを貼られることが多い。
有名になればなるほど、外しようのない一方的な評価がつきまとう。

例えば、ショパン弾きあるいはリスト弾きと呼ばれるピアニストがいる。
ショパンを弾かせたらこの人と言われている一方で、
ショパン以外の演奏は平凡だというレッテルを貼られている。

作曲家もそうで、オペラ作曲家というレッテルを貼られている音楽家が何人かいる。
別に悪いレッテルとは思わないが、日本では交響曲やコンチェルトで名を知られた音楽家より、
一段低く見られていたような気がする。

これは明治政府の急激な西欧化政策が齎したものだろう。
西洋音楽を娯楽ではなく、教養として扱った弊害が未だに続いているようだ。
このことは以前も室内楽の愉しみで書いたことがある。

日本にオペラ専用ホールが出来たのは、僅か20年前の1997年のことだった。

さて、そのオペラ作曲家といえば圧倒的にイタリアが多い。
中でもヴェルディとプッチーニはその作品数と、公演の頻度において双壁であることは間違いないだろう。
そんな二人もレッテルの所為か、唯一ヴェルディの『レクイエム』が知られているだけで、
オペラ以外の作品は殆んど見向きもされていない。

作曲家であるからには、独立した管弦楽曲や器楽曲もお手のものな筈で、
二人とも10曲ほど、それらの作品を残している。
ただオペラほど評価されていないので、演奏される機会はごくごく稀だから一般に知られてないのは当然であろう。

今回聴いて頂きたいのは、ヴェルディの弦楽四重奏曲。
ヴェルディは「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」「オテロ」など、30曲に及ぶオペラ作品で知られた《歌劇王》だが、
この弦楽四重奏曲もオペラ作家らしく、旋律美に溢れた作品である。

滅多に生では聴けないが・・・






テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

三味線バッハ(Ⅱ) 2017年01月13日 音楽(古典) トラックバック:0コメント:10

ばっは





img283a.jpg
ILLUSTRATED BY NANTEI


ばっはだあ!

テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

ある愛 2016年10月27日 音楽(古典) トラックバック:0コメント:30

クララとブラームス。
img136.jpg
ILLUSTRATED BY NANTEI

ブラームスは生涯独身で通しました。
狷介(妥協しない)な性格だったこともありますが、
クララ・シューマンへの愛のためだったとも言われています。

クララは21歳でシューマンと結婚したのですが、
そのシューマンはやがてブラームスの恩人となります。
img136 - コピー
ILLUSTRATED BY NANTEI

批評家としても名声の高かったシューマンは、
若いブラームスを高く評価し、大作曲家への道を開いてくれたのです。

シューマンと親交を深めるにつれて、
ブラームスはクララに強く魅かれていきました。

クララは優れたピアニストでもあり、その上ご覧のような美貌でした。

クララ

でも恩人の妻です。
懊悩し続けたに違いありません。
ブラームスはどのようにして自らを救ったのでしょうか。
それは精神的な愛(プラトニック・ラブ)に昇華させることでした。
相当な抑制の努力が必要だったと思います。

シューマンが56歳で亡くなった後、
ブラームスは残されたクララ一家を、遠くから物心両面で支え続けました。
当時二人の間には頻繁な書簡の往き来があったといいます。

しかしブラームスは晩年お互いの書簡を処分するように申し入れ、
全てを灰にしてしまいました。
後世でクララの名前を汚さないようにしたっかたのでしょう。

1896年。クララは77歳でこの世を去り、
ブラームスは翌年、安堵したかのように64歳の生涯を閉じました。

そんな物語を頭に浮かべながら、ブラームスの 「ワルツ」をお聴きください。
ブラームスといえば重厚で渋い作風で知られていますが、ピアノ用に作られたこの曲は、
とても家庭的でチャーミングだったので、友人の評論家は、
「非世俗的な男がこのような曲を作るなんて!」と、非常に驚いたそうです。

中でも15番は「愛のワルツ」と呼ばれる、ひじょうに美しい小品です。




そうそう、クララはブラームスからの手紙をどうしたのでしょうか。

大部分が大切に保管されていました。


テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術

即興曲 2016年05月20日 音楽(古典) トラックバック:0コメント:10

img387.jpg
ILLUSTRATED BY NANTEI

二つの演奏。

シューベルトに「即興曲」というピアノ作品があります。
4曲ずつからなる作品90と作品142ですが、作品90は「即興」という名にふさわしい自由な形式で書かれています。
「歌曲の王」と称されたシューベルトらしい、旋律美に溢れたピアノ曲です。
ピアノ初級者でも弾ける難易度なので、人気の高い作品のひとつです。

その作品90から、私が大好きな第三番を、二人の名ピアニストで聴き比べてみましょう。
この曲は春から初夏の昼下がりに聴きますと、まことに心地良いのです。

先ずは、ベートーベンやシューマンといったドイツ圏の作品を得意とする、
アルフレッド・ブレンデル(1931-/オーストリア)。



次はショパン弾きとして、またドビュッシーを初めとするフランス音楽で一世を風靡した伝説的ピアニスト、
アルフレッド・コルトー(1877-1962/フランス)。



両ピアニストの演奏は全く異なりますが、それぞれに味わい深いものがありますね。
大ざっぱにいえば、ブレンデルのは『春の憂愁』、コルトーからは『秋の寂寥』を感じるのです。
同じ音楽がこんなに違って聴こえるというのも、珍しいことです。




テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

 » »