5/4拍子 2017年08月11日 音(洋) トラックバック:0コメント:12

TAKE FIVE
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"テイク・ファイブ "はポール・デスモンドが作曲し、
デイヴ・ブルーベック・カルテットの1959年のアルバム『タイム・アウト』に収録された曲です。
曲名の由来にもなった、珍しい5/4拍子の使用で有名になりました。

今回は変わったバージョンでお届けしましょう。
1.2.3.4.5  1.2.3.4.5と拍子を取りながらご覧ください。
きっと、乗り乗りになる筈です。







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グラミー史上唯一の 2017年06月05日 音(洋) トラックバック:0コメント:10

不名誉な記録。

「ミリ・ヴァニリ」はロブ・ピラトゥス、ファブリス・モーヴァンの2人組ダンス・ユニットである。

1988年に西ドイツからデビューした彼らは、ヨーロッパ各国でのヒットを実績にアメリカへ上陸し、
「Girl You Know It's True」は全米2位、その後3枚のシングルは全米1位の大ヒットを記録する。
ポップでダンサブルなサウンドと流行の兆しを見せていたラップ、
モデルさながらのファッショナブルなルックスも手伝ってそのヒットは世界的に広がり、
1990年には、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。

ところが彼らは実際には歌っておらず、いわゆる口パクだったことと、
レコーディング自体が別人物のヴォーカルだった事実が判明したことによって、
グラミー賞は剥奪されることになったのである。

このことを暴露したのは誰あろう、彼らを見出したプロデューサーのフランク・フェーリアンであった。
世界的な大ヒットと、グラミー賞受賞で増長した2人はフェーリアンと対立するようになり、
フェーリアンは意趣返しとばかりに彼らがレコーディングでは歌っていない、
すなわち口パクであることを暴露したため大騒動となったのである。

ヴォーカルが別人物であることもさりながら、当初からそれを隠したままグラミー賞を受賞してしまったことで、
賞は剥奪されレコードも廃盤となり、ミリ・ヴァニリは事実上芸能界から追放された。

ピラトゥスはドラッグやアルコールに溺れた挙げ句に強盗事件を起こし、
カリフォルニアの刑務所に服役することになった。
出所後の1998年、薬物過量投与、薬物過剰摂取によってこの世を去っている。
一方のモーヴァンも麻薬に溺れたが立ち直り、ダンサーとして復活したという。

ちなみにこの1990年のグラミー賞最高レコード賞は、ベッド・ミドラーの「愛は翼にのって」だった。
感動的なミドラー歌声、そしてミリ・ヴァニリの天国から地獄への顛末・・・。
私にとって忘れられないグラミー賞となった。

当時グラミー賞はテレビ朝日、その後テレビ東京が録画放送していて、
毎年楽しみに観ていたのだがその数年後、放映はWOWWOWに移り、
《有料》が何より嫌いな私は、以後グラミーに疎い男となってしまった。





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秋は 2016年09月17日 音(洋) トラックバック:0コメント:14

シャンソン。

日中はまだ汗ばむようですが、朝夕はひんやりした空気を感じるようになりました。
秋は間違いなくやって来ているようです。

その秋にふさわしい音楽といえばシャンソンですかね。
何故と言われると「枯葉」が有名じゃん!としか言えない私ですが。

その上、どれほどシャンソンを聞いたかといいますと、イヴ・モンタンを何曲か、シャルル・トレネをちょろっと。
あとジルベル・べコ―は聴いたような聴かないような・・・。
こんな程度ですから、シャンソンうんぬんなんて言える柄ではありませんがね。

そんな私が最初で最後だろうというシャンソンのLPを買ったのは40年前でしたか・・・。
それは・・・

アラン・バリエールという、歌手のLPでした。
当時のヨーロッパでは人気の大スターだったそうですが、
日本では全くの無名でして、私も当然すぎるほど未知の歌手だったわけです。

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それが、ふとした時にFMで聴いたその歌声に、惹かれてしまったのですね。
くぐもったフランス語がイタリア語に聴こえるほどのはっきりとした歌い方。
いってみれば洗練されたパリのシャンソンからかけ離れた、野性的な歌い方といいましょうか。

それもその筈アラン・バリエールは、ブルターニュの港町で育ち、お父さんは漁師だったという海の男でして、
その潮焼けしたような声は、それまでのシャンソンと全く異なる魅力に溢れていたのです。

アラン・バリエールの歌は殆んど自作ですが、
今日聴いていただくのは、シャンソンのスタンダードともいえる《ラ・メール(海)》です。
シャルル・トレネが歌ったこの曲は、《枯葉》とともにシャンソンの代表曲になりましたが、
アラン・バリエールのはフォービートに乗って朗々と歌う、如何にも海の男らしい《ラ・メール》といえましょう。




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ご存じですか 2016年04月27日 音(洋) トラックバック:0コメント:18

サンレモの大和撫子。
外国のことは知りませんが、日本の芸能界では「三人娘」と名付けて、
人気の相乗効果を狙う風潮があるようです。

初代は黒柳徹子、横山道代、里見京子(又は水谷良重)だったそうですが、
「三人娘」としての印象度はどうだったのか、わかりません。
しかしその直後、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ。
その歌謡史に輝く三人が、《じゃんけん娘》として世に持て囃されたのは周知のことでしょう。

また、山口百恵、桜田淳子、森昌子の《花の中三トリオ》が、
爆発的な人気を集めたのは、つい最近のことのように思い出されますね。

その間にも●中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり ●小川知子、奥村チヨ、黛ジュン ●榊原郁恵、清水由貴子、高田みづえ
といった「三人娘」が組まれていたわけですが、一方、男性は「御三家」と呼ばれていました。

古くは橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が「御三家」と呼ばれ、次いで郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎と続きます。
「たのきんトリオ」もいわゆる御三家でしたね。

前置きが長くなりましたが、『サンレモ音楽祭』の話をしましょう。
1960年代はサンレモ音楽祭から数多くのヒット曲が生まれ、世界はカンツオーネブームに沸いたものです。
この音楽祭には日本から岸洋子と伊東ゆかり、二人の歌手が参加しています。

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伊東ゆかりは前述した中尾ミエ、園まりとともに「ナベプロ三人娘」の一人です。
パンチのある中尾ミエ、しっとりと唄う園まりに比べて、控え目な感じの伊東ゆかりですが、
このサンレモ音楽祭では非常に輝いていました。

1965年、日本人として初めてサンレモのステージに立った伊東ゆかりは、
着物姿で《恋する瞳》を唄い、見事2位に入賞したのです。
東洋人の珍しさもあったと思いますが、それを差し引いても素晴らしい歌唱でした。

日本人にとってイタリア語は、いちばん発音しやすい外国語だといわれています。
初めての海外音楽祭で歌うには、こういってはなんですが組み易い言語といえましょう。
それでもコンクールですから、完璧な発音とそれ以上に歌唱力が求められるのは勿論です。

伊藤ゆかりは選曲も良かったのでしょう、《恋する瞳》を見事に歌い上げたわけですが、
どちらかといえばジリオラ・チンクエッティに似た歌声も、好感を持たれたのでしょうね。
その後、伊東ゆかりは多くのカンツオーネをレコーディングしています。

「夢見る想い」「花のささやき」「砂に消えた恋」「ナポリは恋人」「愛は限りなく」・・・
全てサンレモが産んだヒット曲ばかりですが、今日はその中から「過ぎ去った恋」をお届けしましょう。
伊東ゆかりがサンレモに参加した当時の映像とともに、お楽しみください。





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永遠のガール。 2016年03月08日 音(洋) トラックバック:0コメント:14

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シンディ。
シンディ・ローパーはとびきりの親日家としても知られている。
「前世は日本人だったかもしれない」と話すほどで、たびたび「お忍び」で訪れあちこち旅しているとも聞いた。

そのシンディは2011年3月11日、奇しくも日本公演のため来日し、東日本大震災を目の当たりにしたのである。
多くの外国人が日本を離れる中で、彼女は「こういう時こそ音楽で力を与えたい」と帰国せず、
予定通り日本ツアーを全て行い、また募金活動を行った。

震災から一年後の3月5日には、ツアーのオフを返上して釜石を訪れ、
生歌を披露し桜の苗木を10本手渡したという。
また、その年のツアーの収益金は日本赤十字社を通して、被災地に全額寄付されたのである。
以後も毎年日本公演を行い、被災地の人々を励ましている。
もちろん阪神淡路、新潟にも。

シンディがこれほどの日本贔屓となった契機は、ニューヨークでレストランを経営していた鈴木サクエとの出会いだった。
定職もなくブラブラしていた時にその鈴木サクエという日本人女性から、
「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘われ、
シンディのバンド仲間やまだ下積みのアーティスト達も、面倒を見てもらったそうだ。

以来シンディーは鈴木サクエを母のように慕い、恩返しの思いで被災地の支援を続けてきたのである。

一時期私はこのシンディ・ローパーの歌をよく聴いた。
底抜けに明るいヤンキー娘の歌に、どれだけ元気をもらったか。
反面、「タイム・アフター・タイム」「トゥルー・カラーズ」といった内省的な歌も見事に歌いこなすという、
感受性の豊かさにも大いに惹かれたものだ。

シンディ・ローパーは今年63歳。
しかし変らぬパワーとマインドは、今も『永遠のガール』と呼ばれている。

そんなシンディの、数多いディスコグラフィの中から今回は、
いきなりヒット・チャートの2位に輝いたファースト・シングルの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」、
続いて全米第1位となったセカンド・シングル「タイム・アフター・タイム」をお届けしよう。









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