越中おわら 2017年09月05日 伝統 トラックバック:0コメント:16

風の盆。

おわら

越中八尾は富山駅から高山線で20分、人口二万人ほどの小さな町である。

その越中八尾といえば、おわら風の盆。
風の盆は最も静かで幻想的な盆祭りかもしれない。

静かといえばこの風の盆ではマイクは一切使われていない。
だから町ごとの音曲も遠くから近付いてきて、 目の前を通り過ぎると闇の中に消えてゆくような、
なんともいえない余韻に包まれるのである。

踊りは優美で、歌も音曲にもそこはかとない哀愁がある。

特に胡弓を使うのは全国でも珍しく、太棹の三味線を従えて啜り泣くように鳴り出すと、
菅笠を目深に被った若い男女が、風のように舞い始めるのだ。
菅笠から覗く顔半分とうなじは、 ぼんぼりと家々からの柔らかな光を受けてはっとするほど美しい。

中には少女らしい姿も何人か見受けられる。
八尾の町では生まれて歩けるようになると、誰でも「おわら」を踊り始めるといわれているが、
まだ中学生ぐらいだろうに、流れるような手振りは大人にひけを取らない艶がある。

「おわら」は女は女踊り、男は男踊りと振り付けが分かれていて、しばらくは別々に豊年の祈りを舞ううちに、
やがて男女が慕い合い忍び合う恋情の踊りになってくる。



実際、民謡おわら節の内容は、ほとんどが叶わぬ恋の歌である。
《見たさ逢いたさ想いがつのる 恋の八尾はオワラ雪の中・・・》
秘めやかな情念はかえって胸を熱くする。

この艶美な民謡を祭りの本番で歌うのは、何十年も歌い込んだ人たちに限られている。
越中おわら節は民謡のなかでも難曲中の難曲といわれているが、
まず音階がとんでもなく高くしかもゆるやかな拍子なので息継ぎにも大層苦労するのだ。

だからそれなりの訓練と経験が必要になるのだが、
越中では八尾を中心に子供の頃から踊りはもちろん、「おわら節」に慣れ親しむ習慣があったことで、
その素晴らしい声の伝統を守ってきたのだった。

私はこれまでに風の盆には二回しか行ってないが、
一番忘れられない光景は東の空が白む頃。

踊り疲れた男女が、二人三人と我が家を目指して去ってゆき、
最後に人影が少なくなった朝もやの中を、三味線は太い拍子を刻みながら街角の左へ、
胡弓はひたすら楽器を泣かせながら、右へと消えてゆく情景である。

瓦屋根に朝日が鈍く反射しはじめると、八尾の町は遅い眠りにつく。

風の盆は毎年9月1日から、三日三晩訪問者を魅了してやまない。


※この記事は俳句と映像は別として、最初載せた文章を毎回引用しています。
風の盆を語るには残念ながら私の筆力では、これ以上のものが書けないからです。
でも少年時代を過ごした故郷、富山での最も美しい記憶、おわら風の盆。
秋風が立つ頃になると、どうしても語らずにはおれなくなるので、繰りごとのように書いてしまうのです。


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寒川神社 2017年08月22日 伝統 トラックバック:0コメント:24

御浜下り神事。

八月二十日は千葉のお祭でした。
平安時代から約900年続いている妙見大祭です。
妙見を祀った千葉神社の神輿を中心に、氏子たちの神輿が市中を練り歩く大祭が執り行われ、
十万人の人出で賑わう関東屈指の祭りとして知られています。

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同じ日、港に近い小さな入り江でも古くからの神事が行われていました。
それは寒川神社の御浜下りです。
大昔から東京湾の海の神様として敬われた寒川神社は、
今も神明造りの風格ある社殿をそのままに残し、変わらぬ崇敬を受けていてますが、
この神社で毎年八月に行われる例大祭では、日没のころ神輿が海に入ってゆく御浜下りが呼び物になっていました。

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小さな人工の浜なので昔ほどの情緒はありませんが、それでも海辺の住人や写真愛好家が詰めかけて、
人影が少なくなった晩夏の海辺が一挙に賑わいを見せるのです。
私は妙見さまのお祭りより、こちらの浜入りの方に強く惹かれています。

その最大の理由は、浜辺で執り行われる巫女舞いの神々しさにあります。
神社を出た神輿が、氏子の住んでいる各町内を廻って浜に着く夕暮れ、
その巫女舞いは厳かに始まります。

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まず、少女の巫女たちが「越天楽」を舞い、

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次いで寒川神社の巫女が「浦安舞」を舞い始めると、浜には粛然とした空気が流れます。

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浜風がひんやりとしてくるのも、気の所為ではないようです。
この日は曇りがちの天気でしたが、晴れた日の大きな夕日に向って舞う様は、
息を呑むほど神々しく美しく見えるのです。

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やがて浜に到着した神輿は、神主の祝詞を受けて海に入ってゆきます。
「おりゃ!そりゃ!」「おりゃ!そりゃ!」という掛け声と、
時々起こる観衆の拍手以外は、まことに静かなお祭りなのです。

まさに神事と呼ぶにふさわしい御浜下り。
大掛かりなお祭りより、断然こちらのほうに惹かれる気持ち、
お判りになっていただけますでしょうか。

浜入り



夕陽が映える時の巫女舞いは、身震いするほどです。
下は2014年の御浜下りを写したものです。

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(続)粋で、いなせで 2017年08月16日 伝統 トラックバック:0コメント:30

水かけ祭り。

深川祭りは別名「水かけ祭り」ともいわれています。
神輿が通るたびにホースから、また桶やバケツの水を盛大に掛けるからです。

その涼やかで勇壮な光景をいくつかご紹介しましょう。

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中で最大の見せ場は、門仲交差点近くの水舞台でしょう。
特別に設えた水舞台に満たした水を、これでもかと浴びせるのです。
神輿を担ぐ人たちはずぶ濡れになりながら、歓喜の声を上げています。

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勢いよく撒かれる水は、見物客の上にも降ってきます。
清めの水と知っている方は、多少濡れても嫌がるどころか大はしゃぎ。
こうして深川祭りは、いやが上にも最高潮を迎えるわけです。

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この日、深川は抜け道に至るまで祭り一色になります。

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飲食店もコンビニも往来にビールやつまみを並べて、客寄せに懸命です。
少々疲れてきたのと、喉が渇いたのとで一休みしたいところ。

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深川を訪れるたびに、入ってみたい酒場があります。
「木村屋本店」という南亭好みの酒場ですが、いつ行っても満席なのです。
それが祭りの今日に限って、奥のカウンターが空いているというではありませんか。
谷岡ヤスジではありませんが「やで、うでしや!」です。

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ハイボールを注文しますと、丼一杯のサラダがついてきました。
どうやらこれが突き出しだそうで・・・

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本来のつまみはタンの塩焼きです。

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呑みながら外を眺めると、神輿が次々と通りすぎてゆきます。
いい眺めです。

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酒場を出ると、水舞台の前は水浸しでした。

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まだまだ掛けてくれとせがむ担ぎ手さん。

五年前の前回は永代橋を越えて茅場町まで歩いたものですが、
今年はそういう体力も気力も半減してしまいました。
この辺がいいところでしょうか。


次の大祭は3年後、ちょうど東京オリンピックの年と重なります。
外国人の観客もどっと増えるに違いありません。

2020年。
再び深川大祭に行けるかどうか、心もとなく思うのですが、
三年後の無事息災を八幡様に祈願した次第です。


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粋で、いなせで 2017年08月15日 伝統 トラックバック:0コメント:12

深川八幡大祭。

江戸三大祭りといわれる深川八幡宮の大祭は、3年に一度開催されます。
今年はその大祭の年で、大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は「深川八幡祭り」ならではのものです。

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この日は曇りがちの過ごしやすい気温で、深川祭りの取材にはうれしい天気でした。
朝出発した連合神輿が再び八幡宮に戻ってくるのが、午後の一時ごろというので、
昼過ぎからお不動さん前の沿道で待っておりました。
早くからものすごい数の見物客です。

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やがて永代の方向から木遣りが聞こえてきました。ぞくぞくする瞬間です。

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渋い声の木遣衆。

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木遣りが通り過ぎると、辰巳芸者が独特の衣装でやってきます。

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粋な姐さん。

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歌っているのは手古舞だそうです。

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そして一番神輿の姿が見えてきました。

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今年の一番神輿は木場五丁目。

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沿道からは割れるような拍手と、盛大な水です。

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次いで中木場。

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神輿が差し掛かるたび、お囃子に一段と力が入ります。

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今話題になっている豊洲の神輿も、わっしょいわっしょいと揺られてきました。
これからまだ50基ほど通るわけですが。


(次回に続く・・・)

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無病息災 2017年01月08日 伝統 トラックバック:0コメント:20

はしご詣で。

大磯行きを止めた今年の正月は、穏やかといえば穏やかだが何か物足りなくて、
主治医から遠出や人混みを、なるべく避けるように言われていたのに、遠方の神社仏閣へ足を伸ばしてしまった。

先ずは成田山。
ここに詣でるのは毎年恒例になっているが、来てみると病み上がりとしては矢張り尻込みしてしまう。
長い石段を登りきることができるかどうか、自信がないのである。
念のため酸素ボンベは持参してきたが、この人ごみでは邪魔にされるだけだろう。
結局、総門から礼拝しただけの初詣となった。

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成田山に毎年詣でるのは、鰻を食べたいという理由もある。
別に成田でなくても美味しい鰻屋はそこらにあるのだが、
「目黒のさんま」よろしく「鰻は成田」と刷り込まれてしまったようだ。

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ただ、両側から鰻の煙が吹き付けるような参道は、正月気分と相まって鰻に舌鼓を打つには、
おあつらえ向きの設えだと思うのである。
(鰻重の写真はいつも同じだし、読者の中には鰻がお嫌いの方もいらっしゃるようだから、写真は止めておきませう。)

次いで深川不動尊。
成田まで行ったものの、あれでは参詣したことにはならないので、
改めてきちんと初詣しなければ、ということで思いついたのが深川不動であった。
ここは坂も階段もないし、なにより馴染みの深いお不動さんだったからである。

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深川不動は写真で見るとおり、成田山の東京別院となっている。
元禄年間、不動尊信仰が広まるとともに、成田山新勝寺のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まり、
元禄16年(1703年)、深川永代寺境内、現在の深川不動堂付近で始まった出張開帳が深川不動の起こりだという。

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三が日も過ぎた平日というのに、ご覧の人出である。

そして富岡八幡宮。
深川不動に隣接して、江戸で最も大きい八幡さまがある。
寛永4年創建の富岡八幡宮は深川に住んでいた頃、娘のお宮参り、または七五三などでお世話になった。

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不動明王と八幡さま。
数分足らずの移動で参拝できるという有難さである。
こうして初詣のはしごをしたわけだが、今年ほど「無病息災」を真剣に願った年はなかった。

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昼ごはんは、昔だったら「深川丼」が多かったが、この頃は京漬物の『近為』一辺倒になった。
お不動さん参道の奥にある、京漬物と西京漬けが評判の店である。
ただ、一時間待ちは当たり前の人気店だから、なるべく遅い時間がお勧めだ。
この日も初詣客が多いことは承知だったが、2時を過ぎているというのに10人ほど順番待ちをしている。

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ここは、料理を待っている間、京漬物の鉢が焙じ茶と一緒に出されるが、
この漬物、なんとお代わりができるのだ。
お代わりの出来る先付けというべきか。

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この日頼んだのは《ぶぶづけ》である。
何度かいろいろ食べた中で、この《ぶぶづけ》が一番お得で楽しいメニューだったから。

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三段の棚には上から、切り干し大根、南高梅と昆布、鮭の黄金漬け、となっていて、
見た目楽しく、もちろん味も言うことなしの京ご飯である。

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お不動さんの参道には、飲み屋も多い。
立ち飲み屋では仕事始めのサラリーマンたちが、明るいうちから出来上がっている。

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ある店先では《獺祭》の甘酒で客を釣っていたりと、呑ん兵衛の南亭には非常に辛い光景だったが、
あの悪夢のような、日に何回もの点滴を思うと、一挙にその気は失せるのであった。

「無病息災、くわばらくわばら・・・」




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