南日和 2013年10月25日 交友 トラックバック:0コメント:10

福島の異端児。
水戸から福島県郡山を結ぶ水郡線に乗ると、2時間で棚倉という町に着く。
人口一万五千人ほどの静かな町である。

昭和58年、この町の中心的産業だった「東駒酒造」が倒産した。
東駒酒造は国税当局や酒造・酒販業界に挑戦的だったことから、
税金滞納を理由に過大な差押えを受けダメージを受けたのである。

東駒酒造の古市社長は国賠訴訟を起こし、1審で数億円の損害賠償が認められたものの、
2審および3審で敗訴して会社再建の道を断たれた。

しかし酒類の無免許販売を問われた別の裁判では、
「小売酒販免許制度は職業選択の自由を侵害し、憲法に違反する」と主張し、
今日の酒販における半自由化のさきがけとなったのである。

その頃の酒販業界は、戦前の統制経済下の名残りが強く、
消費者小売値は役人黙認の高価販売、酒造元へはリペート・値引き要求という、
小売店優位の殿様商売だったのである。

古市は裁判と並行して都内で出版社を経営し、銀行と国税を告発し続けた。
一方、米の値段が安いアメリカで清酒をつくって輸入する話や、
小規模酒造会社の買収に乗り出したが、成功しなかった。

以後、その消息は知られていない。


酒造界、酒販界に挑戦し続けた異端児、古市滝之助氏に会ったのは30年以上前のことだった。
どのような経緯かは忘れたが、その「東駒酒造」から仕事の話が持ち込まれたのである。

事前調査では芳しくない噂もあるようだったが、紹介者の顔を立てるためと、
実地にその酒造会社を見ておこうという会社の心づもりだったのかもしれない。
ちょうど晩秋の今頃だったと思うが、上司とともに東京から水戸、水戸から水郡線に乗り換えて、
当時は「東菱酒造」と名乗っていた棚倉の酒蔵に着いたのは、夕暮れのことだった。

旧家らしい広い座敷に通されると、すでに十人は入れるような大きな炬燵がしつらえてあり、
まだ三十代半ばとおぼしい当主の古市滝之助氏が着物姿で待っていた。
仕事の話はあとでとばかりに、早くも酒肴が並ぶ。

「いろいろ毀誉褒貶あることはご存じでしょうが」と前置きした古市氏は、
若い頃から太宰治に傾倒した揚句、小説家を志して早稲田の文学部を出たまではよかったが、
父が急死したためやむを得ず家業の酒蔵を継ぐことになった経緯、そして今も衰えない小説家への夢。

かと思うと酒造業界の古い体質に反抗して、路上で酒を売ったりあるいは生協に安く酒を卸したという、
いわゆる小売酒販法違反で何度も検挙されたことなど、延々と語りかつ盃を空け続けるのだった。

酒はもちろん「純米東菱」が次から次と、奥の厨から運ばれてきたのだが、
そのうち「こういうものを今、試作販売しているのです、おーい番頭さん!」
呼ばれた番頭さんが持ってきたのは、ウィスキーらしきボトルとビール瓶だった。

「米から作ったウィスキー《ライスキー》と、やはり米で作ったビール《リビエル》ですな。
番頭さん注いでやってください」

そのころすでに私たちはしたたかに酩酊していたのである。
その上に怪しげな米のウィスキー、米のビール・・・どうして正気でおれようか。

特に私はその時点で座敷の景色がぐるぐる回っていたのであった。


正気に戻ったのは翌日の朝、宿の布団の中だった。
早朝の6時に酒蔵を案内して貰う約束だったのである。
まだ酔いが強く残っていてがんがんする頭を振りながら「東菱酒造」に出向いたのであった。

広い酒蔵の中を見せてもらった後「新酒を飲んでいってください」。
それは無茶だと思ったが断るわけにいかない。
しかも上司はさすが大したもので、仕事の顔に戻っている。

連れて行ってもらったところは酒蔵の横で、そこには杜氏らしい男が待っていた。
地面にいくつかある金属の蓋の一つを上げて、
錫(後から聞いたことなのだが)の柄杓から地中の新酒を酌んでくれたのであった。

それは二日酔いを押して仕事のため、いやいや呑んだ酒だったが、
なんと人生の中で最も感動した一杯だったのである。
地中で自然に冷やされた清冽な新酒の喉越しといっていいだろうか。
不思議なことに混濁していた頭が、一瞬にして澄んできた思いがしたものだった。

さて仕事の話である。
前夜に出た「ライスキー」と「リビエル」の販売促進をやってくれないかということだった。
しかも常識に捉われない古市氏の提案は、それまでの販促契約のように纏まった金額を提示するのではなく、
一本売れるごとに何パーセントの報酬という、実にドライな提案だった。

「お互いリスクを避けていては先はありません。そうでしょ」
と古市社長は勝負師のような目で探りを入れてきた。


当然ながら私の会社は業界のビジネスの常識を破り、なおかつリスクの大きすぎるこの話を蹴った。
「東菱酒造」の東京事務所は銀座6丁目の、裏通りにあった。
雑居ビルにあるその事務所に訪れて、在京していた当主にわざわざ断りを入れたのは、
古市氏へのある尊敬の念だったと、上司は後日語ってくれた。

たった一晩、しかも仕事の関わりでお目にかかっただけの「酒蔵」の若き当主。
しかしその経営者らしくない、いってみれば左翼闘士のようなその姿に喝采を送りたくなったのは、
私だけではなく上司もそうだったかと思うと、今でも世の中捨てたものではないと思ったりする。

最後にいかにも古市滝之助らしい面白い話をしよう。

米で作ったウィスキー「ライスキー」は、ひところ「ダルマ」の愛称で親しまれ、
昭和の中間階級のステータスだったウィスキー「サントリー・オールド」の空き瓶を回収して洗浄したものに、
「Ricekey」のラベルを貼って詰めたという。

それはサントリーから訴訟沙汰になったほどの、犯罪的なシロモノだった。



スポンサーサイト

テーマ:あれこれ - ジャンル:学問・文化・芸術

南日和 2012年12月18日 交友 トラックバック:0コメント:20

たけちゃん。
千葉市にも築地のような市場がある。
稲毛海岸に近い広大な敷地に青果棟、水産棟などが並ぶ中央卸売市場。

1213A.jpg

周りは何にもないところといっていいような場所にあるので、市場が終了すると、
いつまでも賑わいを見せる築地とはおよそかけ離れた閑散とした光景になる。

1213B.jpg

ここには卸し売りのA、B棟の他に、小売り中心の関連棟、C、D棟がある。

1213C.jpg

1213E.jpg

C棟の2階が食堂街になっていて、市場の食堂だけあって味に煩い人達がよく通うと聞く。

1213G.jpg

その一画に「ココット」という食堂がある。
ここの主というのが、もともとは私が住んでいる町内で古くから喫茶店を営んでいて、
その頃からなぜか気が合って、ずーっと友だち付き合いをしてきたのだった。

10年以上前になるだろうか、その彼が関連棟に空いた店舗の権利を手に入れて食堂を始めたのである。
もともとは喫茶店でもランチなどを提供していたし、その頃から料理の腕はなかなか評判だったから、
うるさ型の市場の人々や、お客さんがファンになってくれるのは間違いないと思っていた。

案の定「ココット」の定食は好評で、特に早朝から仕事をしている市場の関係者には、
特製弁当がまたたくまに売り切れるほど人気になったという。

1213H.jpg

市場の食堂街は、ここで働く人に合わせて午前6時から店を開く。
だから食堂の店主は早朝5時から支度をしなければならない。

閉店は2時。
3時過ぎには家に帰って夜の7時には眠りにつくという生活だから、
滅多に彼とは逢えなくなってしまった。

そういう訳で、時折この「ココット」に寄って定食を食べ、サービスの珈琲を飲みながら、
カウンター越しに馬鹿話をするのが唯一の交流となってしまった。

彼は親しい友人からは「たけちゃん」と呼ばれている。
巨漢だが心根の優しい人である。

ちなみに一緒に「ココット」を営んでいる妻女は、
私の住んでいる街ではXX小町と呼ばれたほどの美人で、
しかも気風がいいときているから、喫茶店時代から妻女を目当てに通う客も多かったと聞いていた。

たけちゃんとは、似合いの夫婦であることは間違いないが、

1213I.jpg 

この日の日替わり弁当は、鰆の焼きもの、鶏の南蛮風、本マグロの刺し身、目玉焼きとサラダ。
もちろん味噌汁付きである。

食材は全て目の前の市場で調達したもので、
当然、新鮮でなおかつ上質のものばかり。

これで、680円とは気の毒ではないかと思ってしまう。

もし幕張メッセに来ることがあったら、是非立ち寄ってお弁当を頼んでみませんか。
メッセからは車で十分もかからないから。




テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

南日和 2012年01月29日 交友 トラックバック:0コメント:18


(異人往来②)
総支配人I氏。
伊豆の伊東は小室山の麓にサザンクロスリゾートという、
ゴルフ場とホテルが一体になったリゾート施設がある。
ゴルフコース、サザンクロスCCはあの大橋巨泉も好んでプレーしていた、名門コースである。

このサザンクロスリゾートにはその昔、贅をつくした日本旅館があった。
その名を「御宿・龍石」といった。
贅をつくしたといってもきんきらきんのそれではない。

趣味の高さとおもてなしの質が群を抜いていると言う意味で、贅沢きわまりない宿だったのである。
その伝説的な宿の基本的構想から、運営方針、仲居さんの教育まで、
全てをオーナーから任されたのがI氏だった。

聞く所によると明治の元勲Iの曾孫にあたり、某ホテルの支配人だったのを、
その並々ならぬ知識と美意識、そして実行力に惚れたサザンクロスのオーナーに引き抜かれたという。

I氏は神社仏閣や庭園の良き鑑賞者でもあり、美術品にも造詣の深い方だった。
その方が当時の名旅館といわれるところを、いくつも訪ねて滞在しながら構想の参考にしたという。


そんなI氏が精魂こめて仕上げた作品のような「御宿・龍石」。
どこがどう贅沢なのか残念ながら文章で説明する力量を持っていないし、
なにより写真が少ないのが悔やまれるのだが。

ともかく一歩正門をくぐった瞬間から、浮世を忘れさせる空気に包まれるのだ。
簡素だけれども洗練された空間と調度、そして仲居さんの立ち居ふるまいまでが、
磨かれたおもてなしの精神に貫かれていて、その心地よさは例えようもないのだった。

当然、総支配人として「御宿・龍石」の総指揮をとっていたI氏。
お知り合いにしていただいたのは、ふとした仕事上のことがきっかけだった。

そして役得というか、嬉しいことに「龍石」にお邪魔する機会が何度か持てたのである。
その後は私の仕事先の会社数社を社員旅行先として紹介した上、
ちゃっかりと幹事役を買って出て同行したりと、毎年二回以上は贅沢をさせてもらっていたのだ。

I氏とは別に赤坂の東京オフィスで、月に一回は打ち合わせの時間を持っていて、
次第に個人的なお付き合いもさせていただくようになったのだが、
いや、その時間のなんと上質で楽しかったことか。

そのI氏とはどのような人かというと、端的に説明できないのがもどかしいのだが、
「龍石」でのこんな話でおぼろげにでも判っていただけるだろうか。


予約のお客が「龍石」の門前に着くと、I氏は必ず法被姿の番頭さんのような格好で出迎えてくれるのだが、
これがまたすこぶる親しみに溢れて引きずり込まれるような笑顔だそうだから、
二度目に来た時にはI氏を見た途端、涙ぐむお客もあったという。

さて夕刻ともなるとお楽しみの宴会となるのだが、
膳の用意が整った頃を見計らって、I氏は今度は羽織袴で角樽を捧げながら宴席に現れるのである。
「みなみなさまには・・・」その口上がまた歌舞伎のように粋でよく響き、
いやが上にも宴が始まるという高揚感をかき立ててくれるのだった。

宴会が終わったあとも遊び足りない人には、
歩いて少しのところにあるホテル・サザンクロスの中に、飲んだり歌ったりできるクラブがある。

このクラブに一歩足を踏み入れると、なんと、赤いタキシードを着たI氏の姿に驚くはずだ。
しかも時々は歌うお客の横で巧みにマラカスを振り、ギロをかき鳴らす姿に更に驚いてしまう。
かといって目立ちたがる人では決してなく、普段は振る舞いの静かな方だったのだが。

こうして深夜までお客をもてなした翌日は早朝から支配人の制服で、
「龍石」の各部屋に運ぶ朝食を点検し、またはホテルのレストランに顔を出し、
そのあと各部屋にお礼の挨拶に訪れるという、たぶん睡眠時間は2、3時間しか取れてないだろう。

けれどもほとんど疲れを見せない笑顔で、おもてなしを締めくくろうとするその姿には単にプロと呼ぶよりも、
人が喜ぶ顔を見るためには、寝食を惜しまないというI氏の哲学をまざまざと眼のあたりにしたようで、
再び訪れた人が泪ぐむというのも、大袈裟な話ではないなと思わされたのだった。


こうして書いていると、やはり言葉が尽きなくなる。
終わりにこんな話はどうだろう。

何度かI氏とお付き合いしたある年のこと、また某社の旅行の幹事として「龍石」を訪れたときのことだった。
その日は生憎の雨だったが「龍石」に着いた私たちを出迎えてくれたのは、
やはり番傘を持ったI氏で、仲居さんにも何本もの番傘を持たせて待っていてくれたのだった。

ところが一行の中の私の顔を見たI氏は、いきなりその番傘で打ちつけてきたのである。
「ここより先は、わしを斬ってからゆけ!」とかなんとか喚きながら・・・。
私はそのころはある程度I氏の遊び心の一端を知っていたのだ。

「なにを、こしゃくな!」と仲居さんの差し出す番傘を取って斬り返したは当然である。
しばらく芝居じみた剣劇に興じて、あはははと笑い合ったときのなんと幸福感。

I氏とはそんな人だった。

えいいち
写真は「えいいち」さんのHPからお借りしたものです。

この写真がI氏がいつも出迎えてくれた「御宿・龍石」の正門である。
(この廃れた感じは、たぶん閉館後の写真かと思われるが)

I氏はその後、突然サザンクロスグループから身を引いてしまった。
「御宿・龍石」の総支配人の肩書きも捨ててしまったのは当然である。
聞くところによると創業一族との軋轢が、のっぴきならなくなった所為だという。

間もなくして一通の葉書が来た。
《浮世を離れてのんびりと好きなことをする。 楽しい付き合いができて嬉しかった。》

というような内容の葉書だった。

それ以後誰もI氏と逢ったという話は聞かない。


「御宿・龍石」はいくばくもせず、閉館に追い込まれたという。


(異人往来①)はこちらをご覧ください。



テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

南日和 2011年08月30日 交友 トラックバック:0コメント:18


勝どき
ILLUSTRATED BY NANTEI

勝鬨俱楽部(三)。
この名前を覚えている方は、過去の「勝鬨倶楽部」を読んで面白いと思ったか、
拒否反応が大きかったか、どちらかである。

それほどこの「俱楽部」は、しょうもないことばかりしていたわけで、
そもそもが築地と銀座界隈を仕事場にしている一風変わった連中が、
何の縁あってか酒場で屯(たむろ)し始めたのだから、大人しく呑んでいるわけはない。

その「俱楽部」もさまざまな伝説を残して、ずいぶん前に雲散霧消してしまった。
あるものは遠方に飛ばされ、あるものは入院しあるものは行方不明になった。
みなあまり喜ばれるその後ではなかったようだ。

今日はその俱楽部の「活動」の中で、もっとも大人しかったある日を紹介しよう。

(A)昨日見た?高見盛の走塁、びっくりしたなあ!
(B)見た見た、けどだいたいキャッチャーの魁皇がにぶいんや。
(C)そんなことより高砂の采配がおかしいって!

(B)そうそう、なんで中継ぎに小錦なの?こんところずーっと打ち込まれとるやないの。
(A)我慢強いのか、ヤケクソなのかね高砂は。
(D)ヤケクソじゃない?WBC監督の座を九十重に持っていかれたんだから。

(E)それよりさ。ラミレスの大関昇進はもう駄目だよね。
(B)ああ、もう4敗しとるやん。しかも金本の突っ張りで倒れるようじゃ、あかんあかん。
(A)ダルビッシュのほうが早いんじゃないの、前みつ取るのが上手くなったし。

(D)たしかに。しかし張本のような技で見せる横綱はもう出ないんだろうか。
(C)技もいいけど村田のような押し一筋ってのも好きだねえ。
(B)あと、うっちゃりの内川。ええなあ!うっちゃりだけじゃ大関にもなれんか、あははは!

(A)話かわるけどさあ、北島がハンマー投げで金だって!
(E)おお、やっとかあ、という感じだね。
(C)室伏も世界水泳、復活してほしいな!

といった話を声高で延々と続けているうちに、
まわりは妙な静けさに包まれるのであった。

※注
ここに出てくるアスリートの一部は、判り易いように最近活躍している選手たちの名前で書いています。



テーマ:あれこれ - ジャンル:学問・文化・芸術

南酒房 2011年08月11日 交友 トラックバック:0コメント:24

枝豆

(異人往来①)
アルベルト氏。
アルベルト氏は、仕事で出会った人である。
初対面で貰った名刺には「アルベルトXX」とあり、怪訝に思われることには慣れていたのだろう、
すかさず「アルゼンチンで育ちました」と言う。

確かにそう言われてみても不思議ではなく、
鼻の下も顎も髭で覆われた顔と全体の雰囲気が、やや日本人離れしていることは確かで、
多少訝しいなとは思いながらも、日常的なお付き合いが始まったのである。

ところが何度か一緒に仕事をするうち、生粋のジャパニーズであることが知れたのである。
しかしその頃にはアルベルト氏の正体など、どうでもよくなっていたのだった。

とにかく皆を楽しませたくて仕方がないという、無類の人好きだったわけで、
その巧みな気配りとあいまって、みるまに周りを虜にしていったのだった。

気が付いたら会議が終わった後、ロケ先での夜といった仕事からの流れはもちろん、
なんと住まいが私の家から近かったということもあって、
ついには我が家にまで大勢が乱入するという事態にまで至ったのであった。

そうして約4年、仕事よりも遊びまくったという記憶を残して、
アルベルト氏は故郷、北陸の支社への希望転勤となったのである。

おかげで千葉の夜はすっかり静かになり、我が家もやっと平穏を取り戻したのだが・・・
なんと今年の大震災の直後、氏からどっさりと米が届けられたのであった。
そして先だっては上質の枝豆「茶まめ」が、笑いが止まらないほど送られてきたのである。

なにか恐ろしい予兆ではないだろうか?というのは冗談。
余計なコメントを添えることなく届けられた宅急便からは、アルベルト氏の嬉しそうで、
そのくせ知らんぷりをしたいような顔が出てくるような気がしたのだった。

アルベルト氏とのことを話すと、一晩二晩では足りないので機会を見て書こうと思う。

ところで肝心の「茶豆」だが当然茹でて、その濃厚な味を堪能したのは言うまでもないが、
やがてただ莢から飛び出させた豆を味わうだけでなく、
他の食材とのコラボレーションも楽しもうと思ったのである。

そういえば以前しらたきと、莢隠元あるいは絹莢との炒め煮を作ったことがあった。
同じ豆だからもう一度合わせてみるかと、安易な気持ちで調理したのが下の一品である。

007.jpg

「しらたき枝豆・アルベルト風」
食べやすい長さに切ったしらたきを、ごま油で炒め途中で生姜の千切りを加える。
しらたきによく油が回ったら、茹でておいた枝豆数十粒ほどを入れて、
だしを加えて汁けがなくなるまで煮たてるのだ。

そのだしは、醤油、砂糖、鶏ガラスープの素適宜と、カップ半分の水で作っておく。

しらたきと茶豆を絡めて口に入れると、いい味が染みたしらたきの間から、
豆の甘味が和してくるのが楽しく、想像した以上の夏らしい一皿となった。

エビぴーまん

もう一皿は海老とピーマンの牡蠣油炒め。
これはこれで素晴らしい出来栄えなのだが、
その濃厚さにしらたき枝豆の味が負けてしまうことに気付くべきだった。

それはそれとして、十二分に堪能しておりますアルベルトさん。

テーマ:男の料理 - ジャンル:グルメ

 » »