南日和 2013年03月01日 廃墟 トラックバック:0コメント:14

鑑定依頼。

2012102416030609d[1]
●鑑定人、ニャン亭。

先月創刊した「廃墟評論」。
さっそく読者の方から廃屋鑑定の依頼があり、
行ってきました関西へ。

依頼主はいつも見事な畑を見せていただき、
また音楽や美術の鑑賞も楽しんでおられるひよっこさんです。

DSCF4398[1]

この写真は依頼された廃屋の一部を、ひよっこさんのブログからお借りしたものですが、
軒下の肘木の細工などを観察すると、なんとなく格式のある民家と思えてきます。

鑑定結果はもう出ていますので、ひよっこさんのブログでお確かめください。
なお、関西に出張鑑定は・・・

ありえない、とお分かりですよね。



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南回廊 2013年02月13日 廃墟 トラックバック:0コメント:20

廃墟評論。
(創刊2号)

そもそも廃墟評論とは如何なるものか。初めてご覧になる方は怪訝に思われるかもしれない。
そこで《創刊》の言葉をもう一度掲載する。

廃墟とは建物や施設などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているものを指す。

最近、廃墟となった住居や施設などの跡を訪ねて回る廃墟マニアが増えているという。
それは廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に魅力を感じたり、
廃墟となった家屋が使われていた頃の様子を想像し、愛着を抱くからであろう。
これからは少子高齢化の影響もあって、そんな廃墟がますます増えてくるに違いない。
人が住まなくなると建物の老朽化は早いという。
ある人に言わせると、人間から発せられている気のエネルギーが無くなって、
物質の劣化が加速度的に進捗するのだそうだ。

少子高齢化が進んでいる所為かどうかはともかく、筆者の近辺にも廃墟が目立つようになった。
そこで廃墟を正しく観賞するために、この「廃墟評論」の創刊を思い立ったのである。
廃墟を鑑賞するには、当然だが先ずその荒廃を愛でることから始まる。
朽ちた板壁や剥がれた壁土とか、屋外に捨て置かれた什器の錆び具合、
はたまた汚れて濁った硝子窓の内側にうっすらと見える家具らしき影や、
割れたガラスの隙間からかすかに伺える往時の生活の名残りなど、
見える限りの方向からつぶさに観察した上で、代々の主の商いや暮らし向きに思いを馳せるのである。
できれば最後の主の面影を想像できるようになれば、立派な廃墟鑑賞者となることは間違いないだろう。

ということで実例を挙げながら、廃墟の観賞についてのんべんだらりと語ってゆきたい。


今思うとなんと独りよがりで、しかもわけのわからない理屈を並べたものだ。
だがもう後戻りはできない。
なぜか?だんだんブログネタが枯渇してきたからである。わははは!

さてある日のこと、そう言えば!と閃いてやってきたのが、いつぞや投稿した「寒川地区」。
ここは廃屋の標本のような地区であることを思い出したのだ。

表通りから一本入ってみる。
すると小じんまりした杜のような一画にさしかかるのだが、

3-211A.jpg

回り込んでみると、路地に面してあばら屋が見えてくる。

3-211B.jpg


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近寄ってみるとものすごい廃れようで、一瞬寒気を覚えたほどである。

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破れた扉の隙間から覗くと、冷蔵庫や食器がうすぼんやりと見てとれる。
アップして鮮明に写そうと思ったのだが、悪霊が取りつきそうなそんな空気が淀んでいるようで、
この程度で止めてしまった。クワバラ、クワバラ・・・

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それにしてもどうすればこのように、無残な荒れ方になるのだろう。

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雑木に埋もれた薄暗い廃屋の周りにいると、
禍々しい結界から抜けられなくなってしまいそうで、慌てて明るいところへ逃げ出してきたのであった。

3-211K.jpg 

裏に回ってみると、奇妙なことに真新しい塀が建っていた。
このような壊れかかった廃屋に、誰が何のために建てたのだろうか。

廃屋に至るにはそれなりの理由がある。
ひとつは主がいなくなって、そのあとを引き継ぐ縁者がいないためである。
もうひとつは引き受けたとしても、ここに住めない都合があり、
売却しようにも買い手がつかないまま風雨にさらされてきたことである。

この辺りはかつては漁業で栄えた地区であった。
しかし昭和40年代から始まった京葉コンビナートの開発によって漁港を失った寒川の人々は、
一人二人とこの町を去ってゆき、今では空き地と廃屋ばかりが目立つ地区になってしまったのである。

そういう経緯を知ると、この廃屋は開発がある程度進んだ頃に棄てられた家かもしれないが、
決して漁師の住まいでなかったような気がするのだ。
何故なら屋根が瓦ではなくトタンぶきだということと、失礼ながらしっかりした建てつけではないということ。

そのことを説明すると相当長くなるから端折るが、
要するにこのあばら家の住人は漁師ではなく、かといって勤め人でもない、
なにか食べ物屋を営んでいたのではないかと推測できるのだ。

周りがどんどん漁師を廃業し、市の中心や他の都市に越していって、
がら空きとなったこの寒川で飲食店が成り立つわけがない。
かといって家も土地もそう簡単に売却できる価値があるわけでなく。

ある日、鳥が飛び立つように夜逃げを敢行したのではないか。
まわりからの借金もそうとうあったに違いない。

「どーしようもねえっぺよ!」と頬骨が突き出た父ちゃんがうろうろ歩き回っていると、
「んだから、言ったじゃねーよー、早く見切りをつけべーよーって」
髪を乱しながら手荷物を纏める色黒の母ちゃん。

持てるだけの荷物を背負いあるいは抱え、月の無い闇の寒川を走り去る夫婦。
こんな物語が想像できるかもしれない。

・・・・・・・・・

さて、この廃墟の評価は、

荒廃度★★★★★
哀愁度★★★★☆
郷愁度★★★☆☆
奇観度★★★★☆
芸術度★★★☆☆

みなさんはいかがでしたか?
前回の(創刊号)と比べてどうでしょう・・・

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南回廊 2013年01月19日 廃墟 トラックバック:0コメント:32

廃墟評論
(創刊号)


創刊にあたって。
廃墟とは建物や施設などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているものを指す。

最近、廃墟となった住居や施設などの跡を訪ねて回る廃墟マニアが増えているという。
それは廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に魅力を感じたり、
廃墟となった家屋が使われていた頃の様子を想像し、愛着を抱くからであろう。
これからは少子高齢化の影響もあって、そんな廃墟がますます増えてくるに違いない。
人が住まなくなると建物の老朽化は早いという。
ある人に言わせると、人間から発せられている気のエネルギーが無くなって、
物質の劣化が加速度的に進捗するのだそうだ。

少子高齢化が進んでいる所為かどうかはともかく、筆者の近辺にも廃墟が目立つようになった。
そこで廃墟を正しく観賞するために、この「廃墟評論」の創刊を思い立ったのである。
廃墟を鑑賞するには、当然だが先ずその荒廃を愛でることから始まる。
朽ちた板壁や剥がれた壁土とか、屋外に捨て置かれた什器の錆び具合、
はたまた汚れて濁った硝子窓の内側にうっすらと見える家具らしき影や、
割れたガラスの隙間からかすかに伺える往時の生活の名残りなど、
見える限りの方向からつぶさに観察した上で、代々の主の商いや暮らし向きに思いを馳せるのである。
できれば最後の主の面影を想像できるようになれば、立派な廃墟鑑賞者となることは間違いないだろう。

ということで実例を挙げながら、廃墟の観賞についてのんべんだらりと語ってゆきたい。
連載はだらしなく不定期になるが、それは編集長の性格をよくご存じの読者諸氏のこと、
きっと苦笑いしながら赦してくれることと思う。
それとも、どうでもいいことか。あはははは。

さてその記念すべき第一回。
紹介するのは千葉市の県庁近くにある、典型的な市中の廃屋である。

廃屋1A

先ず外観を遠くから近くから、また右から左から眺め、
はたまた服装の汚れもいとわず狭間に身を入れてみたりする。

廃屋1B

この廃屋の外壁のありようが見事である。
崩れるぎりぎりの段階で持ちこたえている緊張感がある。
板張りの壁の剥がれた様子は絵画的であり、音楽的と言ってもいいだろう。

廃屋1C

廃屋1D

この間口の解放感は、商いを営んでいたに相異ない。
その商いも八百屋とか魚屋ではなく、衣料か荒物を扱っていたと想像されるのだ。
これは長年培った勘であるが、しかし長年とはよくも大ボラ吹いたものだ。がははは!

廃屋1E

屋根の様子も見逃してはならないポイントである。
瓦屋根かトタン屋根か、はたまた屋根の傾斜は急か緩やかか、瓦屋根だったら鬼瓦はどのような形状か、
瓦の破損は何枚か、など細かな神経をもって観察してもらいたいものである。

廃屋1F

可能なら、裏口にも回ってみたい。
そこにはこの家の暮らしを窺うものが生々しく残っている筈だ。
例えば電気のメーター、台所からの排水管、あるいはプロパンガスのボンベ。

はたまた昔は使っていただろう屎尿の汲み取り口や、捨てようと思っていた襖の残骸等々。

そんな様々な遺物や廃屋の佇まいから、最後の主を想像してみると、
痩せぎすのそれでも腕の筋肉が逞しい老爺ではなかったかと思うのである。
しかも独り暮らしであったな。

理由は・・・長年の勘である。
わははは。

さて、この廃墟の評価は、

荒廃度★★★☆☆
哀愁度★★★☆☆
郷愁度★★★☆☆
奇観度★★☆☆☆
芸術度★★★☆☆

とまあ、やや辛口の採点になったが、
これが次回からの評価の目安になるので、よく覚えておいてほしい。

ところでみなさんの周りにも、必ず廃墟の二つや三つは存在している筈だ。
これはと思う廃墟をブログアップしてみてはいかがだだろう。
不肖南亭が鑑定に伺っても、いいぞよ。

張り切って投稿してくだされ。



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