神田 2018年04月23日 江戸 トラックバック:0コメント:24

神保町。

一年ぶりに神保町古書店街にやってきました。

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相変わらず賑わってますね。

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今日の目的はこの「古賀書店」です。
ここは音楽専門の古書店で、対位法などの作曲技法、音楽評論や音楽家の伝記はもとより、
楽譜、はたまた来日した名演奏家のコンサート・プログラムまで扱っており、
好事家にはたまらない古書店として知られています。

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今回は何を探しにきたかといいますと、ちょっと照れくさいので内緒にしておきますが・・・

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神保町も少しずつ変化しているようです。
小さな書店は飲食店に取って代わり、新しくビルに改築した老舗も何軒か見受けられました。

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三省堂などは一階がカフェレストランになっていたり、
遊びの空間を設けたりと、若者の書籍離れを食い止めようという努力が伺われます。

さて、帰りは淡路町方面へ歩いてみましょうか。
小川町から淡路町界隈は一本裏道に入ると、江戸時代からの名店が多く残っていて、
それらを眺めなら散策するだけでも、粋な気分にさせてくれるのです。

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神田といえば有名な「神田藪蕎麦」。
4年前の火災で半焼しましたが、一昨年建て直したお店です。

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すぐ近くには鮟鱇鍋で名高い「いせ源」。

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また鳥すきの「ぼたん」。

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甘味処「竹むら」といった、文化財的な建物が並んでいるのです。

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新しいビルになってしまいましたが「志乃多寿司」も、創業百年を越える老舗です。

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そして表通りには藪蕎麦と人気を二分する蕎麦の「まつや」。

これらはいずれも美食家としても知られた、池波正太郎氏が贔屓していた名店ばかりです。
特に「まつや」は池波氏が足しげく通ったと聞いています。
実は私も「藪」より「まつや」が多かったのですが、池波氏のように舌が肥えていたわけではありません。

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仕事関係で一時は毎週訪れていた会社が、ここ小川町にありましたので、
そこの社長さんに連れられてよく来たという、それだけのことでしたが。
土曜日に止むを得ない用件で訪れると、お昼はたいがいこの「まつや」でお酒と蕎麦をご馳走になったものです。
わさびかまぼこ、鰊の棒煮、焼き海苔などで呑む昼酒はまこと大人の時間でありました。

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そうそう、池波正太郎といえばこの店も外せません。洋食の「松栄亭」です。
池波氏はここでよく〔洋風掻揚げ〕を食べていたそうで、エッセーにも、
「まったく、この一品の味わいは、私のような東京の下町に育った者にとっては、なつかしいの一語につきる。
それでいて、いまの若者たちも[かきあげ]にたっぷりとウスターソースをかけてごはんをたべているのだ」

というくだりがあります。

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この日はだいぶ歩いたので、揚げものはパスして〔オムライス〕を頼みました。
玉子にくるまれているのは正統なチキンライスですが、濃厚なケチャップの味は少々くどく感じたものです。
年寄りには人形町「小春軒」のようなプレーンオムレツと白いご飯が口に合うのでしょう。

松栄亭

「松栄亭」、私が若い頃はこういう煤けたような佇まいでした。
(写真はお借りしたものですが)
このあたりは戦災を免れた稀少な一画でもありまして、そのため古い料理屋が無傷で残ったわけです。

ちなみにこの一帯は小川町となっていますが、神田藪の辺りは「連雀町」と呼ばれていました。いい名前ですね。
神田には「黒門町」「白壁町」「猿楽町」「久右衛門町」など四十以上の町名があったそうです。

また銀座にも無数の町名がありました。
「佐柄水町」「八官町」「瀧山町」「弓町」「木挽町」などなど・・・
それが銀座一丁目から八丁目という平板な区画に統合されたのです。

これは東京に限らず、各地でも同じだった筈。
行政上の煩雑さを解消するためなんでしょう。
しかし、慣れ親しんだ町名が消えてしまうというのは、想像以上の寂しさだったと思います。

私も20年ほど前に、本籍地の地名が変更されて面食らったことがあります。

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桜また桜(一) 2018年03月31日 江戸 トラックバック:0コメント:20

九段から半蔵門。

靖国神社には何度か訪れたが、桜の季節は初めてである。

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靖国通りは桜の分厚いモール。

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神社境内も桜、桜、桜。。。

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平日の昼間にも関わらず、たいへんな人出だ。

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桜は早くも散り初めていた。

靖国の桜は手放しで楽しむというわけには行かない。
先の大戦で戦没した三百万の霊が花びらとなったように思えるからだ。
そして、俺たちのことを忘れるなよとばかり、はらはらと散ってゆく。

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戦争の記憶はまるで霞のように薄れてしまったが、
ここへ来ると「わしらは本当に、お国のためになったのかい?」と兵士たちが問いかけてくるように思える。
戦死した祖父もたぶん合祀されている筈だ。
社前で深々と頭を垂れた。

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靖国通りの向こう側が千鳥ヶ淵。

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九段から千鳥ヶ淵にかけては、ある意味で最も精神的な桜の名所といっていいだろう。

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ここは報道でよく紹介される所だから、写真は最小限にしよう。

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千鳥ヶ淵を過ぎると、イギリス大使館の長い塀が見えてくる。
イギリス大使館の桜、ここがいつも気になってしょうがない。

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敷地にびっしりと植えられた桜は、当然公開されていないから、、
余計に見たい欲望を掻きたてるのである。

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なんどもジャンプして塀の内を覗いていたら、きっとスパイに違いないと勘ぐられるだろう。
貧弱な爺さんがまさかスパイだとは思わないだろうが・・・

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ともかく道路側のやや小高い植え込みから、背伸びして撮ったのがこの写真である。
もどかしい限りだが、これが限界。


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ランチは九段の人通りが少ない横丁で見つけた、隠れ家のようなダイニングバーに決めた。
なぜなら、表のメニューに「卵かけごはん」とあったから。

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わっ!この顔つきはどうだ!
納豆、めかぶ、キムチ、揚げ玉などが被さった真ん中に生卵。
一口300メートルのエネルギーを秘めた、スタミナ丼。
適量の醤油をかけて掻き混ぜる。

なんとも混沌としたお味。
しかも美味い!

「裏通りに美味いものあり」
南亭の格言に間違いは無い。



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観梅(二) 2018年03月09日 江戸 トラックバック:0コメント:22

小村井梅園。

JR亀戸から東武電鉄に乗り換えて三つ目に小村井という駅がある。
「おむらい」と呼ぶ。「おむらいす」ではない。

駅から数分のところに下総香取神宮の分社、香取神社があり、
その香取神社の隣に、江戸時代には三千坪を超える広大な梅園があったという。
築山や池を配した見事な庭園に多数の紅梅、白梅が植えられ、「梅屋敷」の名で呼ばれた梅の名所として知られていた。

しかしこの「小村井梅園」は明治43年の洪水で流失し、そのまま廃園になってしまった。
その「小村井梅園」を偲び、香取神社の宮司の手によって「香梅園」が造られたのが平成6年のことらしい。
梅で名高い神社として「湯島天神」「亀戸天神」が知られているが、
それよりも、無名の香取神社を訪ねてみようと思ったのである。

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明治通りを曲がると早くも、梅に縁取られたような境内が見えてきた。

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鳥居をくぐった左手には豪華な枝垂れ梅が連なり、上品な香りを漂わせている。

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右手には風雅な趣の門があり、門に「香梅園」と記されている。

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門をくぐった中にさまざまな品種の梅が所狭しと植えられ、その中を縫って散策路が巡らされていた。
敷地としては小さなものだが、その狭さがかえって植えられた梅の密度を濃く見せているようにも思える。

参道にある梅を含めてここには、「呉服枝垂れ」「思いのまま」「御簾の内」「鈴鹿の関」といった珍しい品種が多い。
それぞれの梅の名を確かめながら観賞してゆくのも楽しい。
まだ観梅客の押し寄せないところも、なによりだった。

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せっかくだから、香取神社を参詣する。

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やはり墨田区、神社の屋根越しにスカイツリーが突き出ていた。

小村井駅周辺には、これといった食べ物屋が見当たらない。
そこで乗り換え駅の亀戸で、昼食をとることにした。

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駅前の亀戸中央商店街は青物屋が目立つ通りだが、
中華食堂やラーメン屋も多かったように覚えている。

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食べ物屋を物色しながら歩いていると、静かな路地になにやら気になる案内版。
「鳥だしのうまいらーめん」・・・?。だが、それらしい店が見当たらない。

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なおもその辺りを見ると、あぶない事務所のような建物が「なが田」というラーメン店だった。
こういう衒いのある店が、素直なラーメンを出す筈はない。
戻ろうと思ったが話の種になるかも知れないし。

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入ってみると、葦簀で囲った12席ばかりのぶっきらぼうな店内。

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いちばんシンプルな醤油ラーメンを注文する。
ポタージュのようなスープに浮かんだ、分厚いチャーシューと太いメンマ。
白葱とアサツキをあしらって華やかな顔をしている。

濃厚な鶏ガラスープに合った太麺。
スープは意外にあっさりしていて、飽きがこない。
非常に上質のラーメンと思えたが、値段が値段である。

ワンコインを遥かにオーバーしたラーメンは、
今後の散策、その懐具合に少なからぬ影響を及ぼしそうだ。


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月島・深川 2018年02月14日 江戸 トラックバック:0コメント:28

もんじゃ村。

月島に来たのは6年ぶりである。特に目的があったわけではない。
深川の友人を見舞ったその足で、ふらり寄ってみたのだ。

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月島といえば「もんじゃ」、「もんじゃ」といえば月島と言われるように、
「もんじゃ」で成り立っているような商店街である。
しかし、これほど「もんじゃ」店が増殖しているとは!

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6年前はまだ雑貨屋、花屋、豆腐屋あるいは蕎麦、中華の店などもそこそこ目に付く通りだったのが、
全て「もんじゃ」で埋め尽くされたような「もんじゃ村」と化してしまったようだ。

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表通りだけでなく裏通りにも。

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そして露地にも。

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そういえば月島には狭い露地が何本もある。まるで魚の骨のように。
肩寄せ合って暮すという形容がぴったりな、下町独特の風景である。

「もんじゃ」はここ月島で一度食べただけである。
それも会社のグループ会で使ったのが最初で最後、以来「もんじゃ」は口にしていない。
何年かぶりで味わってみようと思ったが、爺さんが一人でもんじゃをつつく姿は、いかにも侘しい。
場所を替えてラーメンでも啜るか・・・

深川骨董市。

そういえば、友人から富岡八幡で骨董市をやってると知らされていた。
月島から門前仲町まではバスでふた駅である。歩いてゆける距離だ。深川に戻ろう。

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八幡宮の骨董市は歴史が古い。戦後まもなくからだと言う。
陶磁器はむろん古い玩具や煙管、古銭、刀剣など、眺めるだけでも楽しい。

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そういえばこの富岡八幡宮では、昨年禍々しい事件が起こった。
その煽りで初詣客が格段に減ったという。
今の宮司はどなたなのか知らないが、本殿からは腹に響くような太鼓の音が聞こえてきた。

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深川での食事はお不動さん参道の京料理「近為」が多くなった。
久々に「ぶぶづけ定食」をと思ったが、案の定並んでいる人が多い。
そうとう腹も減っているので、別の店へ向かう。

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渋い佇まいは、同じ参道にある深川飯の老舗「六兵衛」。
門仲で深川飯(いわゆる浅蜊飯)を食べさせるところは、無数にあるが私はここの味が最も気に入っている。

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この日はやや寒かったこともあって、「あさりの雑炊」にした。
こういう時はお腹の中から温まる雑炊に限る。
浅蜊の粥に卵を溶いだ熱々の雑炊。浅蜊から出る出汁と優しい塩気は申し分ない。

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「六兵衛」を出ると、いつもは横目で通り過ぎていた立ち飲み酒場が、いやに誘惑してくる。
中は壁一面に全国の銘酒、銘酒、銘酒。

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本日のお薦めが数種類あって、千葉の酒「甲子」の名前が見える。迷わず「甲子」でゆく。
つまみは「鶏皮ポン酢」のみで、ゆっくり味わう。
甲子の辛口だが爽やかな喉越しは、鶏皮によく合う。

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改めて満員の客を見渡すと、非常に若い女性が多いことに驚いた。
ホタルイカをつまみながら、しかも立ち飲みで、このお酒は甘いだのフルーティだのと騒いでいる。
世の中つくづく変ったものだ。

3連休の、あるささやかな一日。


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師走 2017年12月16日 江戸 トラックバック:0コメント:24

うをがし茶。

12月の中ともなると、街はどことなく忙しげである。
築地の賑わいもなにやら殺気立ってきたように見える。

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最近の築地は海外からの、特に東南アジアや中国からの観光客が増えている。
彼らのお目当ては「スシ」だそうで、そういえばここ十年の間、場外にはすし屋が目だって多くなった。

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現役時代はこの築地が近いこともあって、時々は路地裏の狭いすし屋とか、
この春に出火して全焼した井上のラーメンなどで昼食を摂っていたものだが、
それよりも知る人ぞ知るといった場内の食堂で食べることが多かった。

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ちょうど築地がんセンターの向かい側、そこが場内への入り口になっていて、
市場で働く男衆が慌しく行き交う中を、邪魔にならないよう用心しながら行くと、間口の狭い食堂が並ぶ一画となる。

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いずれも市場で働く人や、仲買人が利用する老舗の名店揃いである。
味に煩い人たちが通うわけだから、提供される味に間違いはない。

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奥まった角にあるのが牛丼の吉野家、その一号店である。
明治32年、日本橋の魚市場で誕生したが、関東大震災の後築地市場に移転し、現在に至っている。

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今回この食堂街は通り過ぎるだけで、勝鬨橋のたもとまで足を伸ばす。
築地市場厚生会館という建物の一階に「魚四季」という食堂がある。二十年前までは単に「厚生会館食堂」だった。

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当時から魚料理が評判で、早朝から働いてきた市場の衆は、ちょうど昼頃が上がりとみえて、
食いかつ酒を酌み交わす男たちの熱気に溢れていた。

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民営の「魚四季」になってからも、その光景は変わらなかったが、
この日はそのピークが過ぎた時間らしく、サラリーマンやOLが遅めのランチを食べているだけだった。

「魚四季」の昼定食、お薦めはなんといっても「あら煮定食」だろう。
鯛をはじめ新鮮な魚のあらが、煮しまった大根とともにぎっしり詰まった鉢は絶品である。
ことに寒い季節はあっという間に品切れとなる、超人気の定食だ。
案の定、お目当てのあら煮は品切れで、仕方がないからお初の「鮪のあご香味焼き」を注文した。

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出てきた定食を見て、のけぞってしまった。
スペアリブのような骨つきあご肉が数本、山をなしていた。
こりゃ一人では食えんぞなもし・・・思わずわけのわからない方言が出る。

しかし、これが魚かと思うほどしっかりした肉で、その中にてろりとした脂の筋が走っている。
香ばしい焼き目とあいまって、箸が進むこと進むこと。
鮪と味噌汁だけで満腹してしまったが、これで旨い地酒でもあったら今日の用事を忘れてしまっただろう。

その用事とは・・・

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同じ築地、といっても市場から離れた本願寺に近い「うをがし茶」で、お歳暮用の茶を買って帰ることであった。
ここのお茶はかれこれ40年、我が家で愛用してきたもので、
縁戚へのお歳暮としても好まれていたことから、毎年暮れになると買出しにくるのである。

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「うをがし茶」に来て嬉しいことは、一定量を買うと二階にある日本茶カフェのお茶券が貰えることだ。
この「茶之実倶楽部」には茶ムリエさんが居て、美味しいお茶を淹れてくれる。

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希望するお茶の二種類とお茶うけを出してもらい、一年の来し方を振り返りながらまったりした時間を過ごす。
これが楽しみで、自宅への配送よりわざわざの築地行きを選んでいるのである。

三日ほどかけてお歳暮の手配が終わると、急に晦日が迫ってきたような心地がする。
昨年は退院して間もない頃だったから、年賀はメールや電話で済ましてしまったが、今年はそういうわけに行かない。
一度楽をすると、年賀状作りも非常に厄介なお荷物に思えてくる。


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