南回廊 2010年07月31日 落語 トラックバック:0コメント:2

落語1
ILLUSTRATED BY NANTEI

志ん生の血脈

昨年、三遊亭円楽が亡くなり、
名人と思われる噺家は、立川談志だけとなってしまった。
しかし南亭としては、古今亭志ん朝の死をもって、
名人の時代は終焉したと思っている。

周知の通り志ん朝は、昭和の名人古今亭志ん生の次男坊で,
長男は金原亭馬生である。
本来なら、長男が志ん生の名跡を受け継ぐのだが、
父は次男の方にその名を託したかったのである。
それほど志ん朝は、たぐいまれな才能を持っていたのであろう。

こんな話がある。
当時志ん生とライバルだった桂文楽が、
円朝を継げるのは志ん朝しかおるまいよ。と明言したという。

円朝とは大名人と言われた明治の噺家、
初代三遊亭円朝のことであり、その名跡を許される者は誰もいなかったのである。

一方、馬生を名乗った兄の方は、
父志ん生の奔放な芸とは反対の、じっくりと聴かせる人情噺でその地位を確立したのだったが、
昭和57年、54歳という円熟期にこの世を去ってしまった。

志ん生と馬生亡き後、古今亭一門を預かることになった志ん朝は、
艶噺、人情噺に磨きをかけて押しも押されぬ名人の道を進むのだが、
惜しいかな平成13年、64歳の生涯を閉じてしまった。

志ん朝で名人の時代が終わったと書いたが、
噺家の名人とは芸もさることながら華があることであり、色気があることである。
志ん朝の高座は出てくるだけで華やぎ、
声にも仕草にも真似のできない艶があったのだ。

特に「夢金」や「居残り佐平治」などはその真骨頂だろうと思う。
ほんとうに惜しい噺家を失くしてしまったものだが、
志ん朝の死によって、志ん生の落語の血脈も絶えてしまったのである。

私はラジオ時代に育ったので、
自然、漫才や浪曲といった語りの芸能を聴くしか楽しみがなかったのだが、
なかでも落語は少しずつ理解しはじめるとともに、魅力を覚えていったのかもしれない。

社会に出てからは高座にも何度か通い、
レコードも手に入れて聴くなど、すっかり落語ファンになっていたのである。

子供が中学生の頃だろうか夏の夜、川の字に寝ている家族に、
志ん生の「もう半分」とか「品川心中」を無理やり聴かせたことがある。
当時は他人の好き嫌いなど、お構いなしの親父だった。
たぶん辟易させたのだろうと思っていたが、
幸か不幸か子供はいつの間にか、落語好きになっていたのだった。






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