永井荷風と 2016年09月30日 房総 トラックバック:0コメント:20

カツ丼。

千葉県市川市に「文学ミュージアム」というカルチャーセンターがある。
ジオラマ作品の企画展をやっているというので、ジオラマ狂でもある南亭は、
何はともあれの思いでやってきたのである。

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題して「昭和幻風景」。
市川市出身のジオラマ作家、山本高樹氏がよき昭和の東京下町を、精密なジオラマで再現した企画展である。
山本高樹氏といえば、NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」のタイトルジオラマの制作者でもある。
と聞くと、ああ!と膝を叩く方も多いだろう。

30点近いジオラマ作品は、期待を裏切らないものだった。
というより、期待以上のといった方が正しいかも知れない。

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先ずは「梅ちゃん先生の町」

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山古志村の農家

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川っぺりの街、などなど・・・
細々とした生活小物に感嘆し、建物の造作を舐めるように観察する。
いずれも離れ難いほどの見事なジオラマ。在りし日の昭和に、どっぷりと漬かった心地だった。

ミュージアムを出て、京成八幡駅に向かう。
もう一つの目的は、永井荷風が通った「大黒屋」を訪れることである。
永井荷風は戦後間もなくの昭和23年、市川市に居を構えた。
随筆集「葛飾土産」はこのころ執筆されている。

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永井荷風が住んでいた八幡町の住宅街。

市川での荷風といえば、なんといっても「大黒屋」だろう。
当時の女将によると、
ほぼ毎日、ここで「カツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と召し上がれました。
亡くなられた前日にも、いつもの「カツ丼」を召し上がっていかれました。


確かに名作『断腸亭日乗』の最後あたりになると、「天気」の事と「正午大黒屋」のみの記述となっている。
ともあれ、せっかく市川まで来たのだから、「大黒屋」のカツ丼を食べない手はない。

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「大黒屋」は京成八幡駅の北口にある。
当然、いつの頃か建て替えたのだろう、モダンな造りになっていた。
ここはしかしカツ丼専門店ではなく、れっきとした割烹の店である。

寿司、天麩羅、鰻、刺し身がお品書きの殆んどを占めている。
ただ昼の人気はやはり「カツ丼」らしく、入ってくる客は口を揃えたように「カツ丼」を注文していた。

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店内の向かって左奥が、永井荷風の定席だったらしい。
私が入店した時は、ほぼ満席だったからカウンターに案内されてしまったが。

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さて、出て来た「カツ丼」を見て仰天した。
ぐわっ!でかい!!「なか卯」のカツ丼に比べて1.5倍の量はあるだろう。
私の昼といえば、お握り一個分に相当する少量の麺類である。
朝もご飯一杯だし、夜は晩酌のつまみあれこれで腹が膨れるといった按配だから、
胃の容量が往時より縮小している筈だ。

出来るだけ残さないようにしなければ、荷風さんに合わせる顔がない。
別にどうでもいいことだけど、動顛のあまりそう思ってしまったのである。
しかし、カツは脂肪分の少ないフィレで、衣はからっと揚がっていてしかも肉は柔らかい。
タレも濃からず薄からず、全部食べたとしても胃にもたれることはないだろうと思わせるほど、上質のカツ丼だった。

本当は「荷風セット」を頼むのが、通?の大黒屋ファンらしい。
荷風が毎日食べたという「カツ丼」「上新香」「お酒」のセットというが、
蕎麦なら判るけど、カツ丼をお伴の昼酒は遠慮申し上げたいものだ。

さすがにご飯は少し残してしまったが、
「なか卯」の丼以上を昼間から平らげるというのは、近来稀な出来事であった。
しかし喜寿を超えてなお、毎日のように「カツ丼」を咀嚼し胃袋に収めていた永井荷風。
奇人を通り越してなにやら不気味なものすら感じるのである。

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この辺りの商店街は「荷風の散歩道」と称している。
雨の日も雪の日も、飄々と「大黒屋」に通っていた荷風の姿が、
車の陰や電柱の向こうに垣間見えるような、そんな気がしたものだ。

ちなみに市川は文学の町と言われている。
かつて、荷風を始め幸田露伴、北原白秋、安岡章太郎、五木寛之、井上ひさし、
また、戦後の俳句界に大きな足跡を残した能村登四郎といった文学者たちが居を構えていた。
真間に近い遊歩道は「市川文学の散歩道」として整備され、多くの文学愛好者たちが訪れる。

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(2010年、4月に訪れた時の写真)

ことに桜並木の散歩道は、春ともなると当然の人出となるのだが、
所どころに立つ作家紹介の掲示板が、一挙に華やいで見えるのも文学の町、市川らしい。



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