いなげの家 2016年03月04日 漫歩 トラックバック:0コメント:26

溥傑と浩。
私の家から国道14号線に出て稲毛に向かうと、稲毛浅間神社が見えてくる。
創建が808年という由緒ある神社だ。

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その脇の細い道に、趣のある家屋がひっそりと建っている。
昭和12年に成婚間もない夫婦が半年ほど居を構えた建物である。

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その夫婦の名は愛新覚羅薄傑(あいしんかくら・ふけつ)と浩(ひろ)という。
薄傑は清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝にまつりあげられた薄儀(ふぎ)の弟であり、
浩は政略によって薄傑と結婚させられた嵯峨侯爵の長女であった。

政略結婚とはいえ優しく人格者でもあった薄傑を、浩は心から愛するようになり、
仲むつまじい夫婦として平和な日々を送っていた。
しかし日中戦争が激しくなると、薄傑は家族とともに皇帝一族として満州に赴いたのだった。

1945年、日本が無条件降伏すると、薄儀と薄傑の兄弟は満州になだれ込んだソ連軍に捕まり、
やがて中国共産党に引き渡され、戦犯として長い収容所生活を送ることになる。
一方浩は逃げる途中八路軍(人民解放軍の前身)に連行されたが、
1年後に釈放されると苦労の末、日本に帰国することができたのだった。

引き揚げ後は横浜で書道教師として生計を立てながら、
薄傑との面会を許してもらえるよう、外務省に働きかけたり中国へ何度も嘆願書を出したが、
再会できたのは終戦から15年を経た1960年だった。

以後ふたりは北京に住居を構え、日中友好の懸け橋として残された人生を捧げることになる。
1987年(昭和62年)浩は北京の病院で生を終え、
薄傑は1994年(平成6年)同じく北京の病院で波乱の人生を閉じた。

二人で来日した時の映像が残っている。
激動の時代を生きた二人の、無言の労わりあいが痛いほど伝わってきて深い感動を覚えたものだった。

浩さんが亡くなったあと、この稲毛の旧居を訪れた薄傑が詠んだ即興詩がある。

日本語に訳すと、
「かの妻の微笑や今何処 庭にたたずみ胸の騒ぎを覚ゆ
夫婦の契り昨日のごとく 愛しき思い出 老いの身に耐え難し」


この「いなげの家」。王族の住まいにしては質素だが、かしこに繊細な装飾が施してあり、
また調度にもそれとなく新婚の華やぎが感じられて、微笑ましくなるのである。
人が少ない平日には度々訪れて縁側から庭を眺めたり、周りを逍遥するのが楽しみになっている。
だがその度に、さまざまな感慨を抱いて帰るのも常であった。

リラ
リラまたはライラック。この花が咲く頃、ふいに訪れる寒さを「リラ冷え」と呼ぶ。

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(居間)
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(薄傑の書)
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(洋間)
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(庭の奥に浅間神社の鳥居が見える。当時このあたりから向こうは海だった。
今は沖まで埋め立てられ広大な団地や住宅地になっている。二人はきっとこの庭から海を眺めることも多かったに違いない。)
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(離れ)

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(嵯峨 浩)
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(薄傑と浩)



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テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

こんにちは♪

愛新覚羅薄傑(あいしんかくら・ふけつ)と浩(ひろ)さんのお話は存じていますよ
お二人のお嬢様のお話も有名ですね 確か次女の方は今でも御存命だと思います

最初に居を構えたのが此処だったのですか
風情のある建物ですね 一般の家とはやはり違いますね
此処は見てみたいですね 
大変な時代を生き抜いた方たちだったのですね
  1. 2016/03/04(金) 11:03:48 |
  2. URL |
  3. はやとうり #-
  4. [ 編集 ]
この建物がこうして大切に保存されていること。嬉しいことですね。
お家にもお庭にも、懐かしい香りがありました。
先日の日曜美術館で、韓国の画家と結婚された日本女性が、戦争で
日本と韓国に引き裂かれ、何度も渡韓を試みて叶わぬまま、ご主人の
画家が亡くなられたと知りました。
このお二人は、また会えて、暮らすことが出来たこと。心から嬉しく思いました。
素敵な写真と物語をありがとうございました^^
  1. 2016/03/04(金) 11:51:31 |
  2. URL |
  3. mimiha #-
  4. [ 編集 ]
へぇ、お近くにそんな有名な方のお住まいが残っているんですね。
お庭も、趣があって・・広いですね~ 近ければ、訪れてみたいです。

昭和12年に建築されたのですか。遠い気がしませんねぇ。
溥傑さんと浩さんが、再び会えて良かったですね。

我が家の庭にも、ライラックの蕾・・ まだ、硬いですが
咲く度に愛新覚羅溥傑さんの愛しき思い出を思い浮かべそう。^^
  1. 2016/03/04(金) 13:34:49 |
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  3. みやこ草 #-
  4. [ 編集 ]
こんにちは。
いい所ですね。
国道14号は時々車で通っていましたし、
浅間神社も信号待ちの折に見かけたことがあります。

その細道にこんな家があったとは。
昔の稲毛は別荘地だったそうですね。
それにしてもいい佇まいの建物ではありませんか。
質素に見えてなかなか趣味の良い内装や調度。
奥床しい華やかさを感じました。

時代に翻弄されたご夫婦のお話、
しっとりと読ませていただきました。
最後の詩が泣けますね!

こんな縁側で月見の酒を飲みたいものです。
なんて、叱られそうですが(汗)
  1. 2016/03/04(金) 18:03:15 |
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  3. Toku #JalddpaA
  4. [ 編集 ]
はやとうりさん。
こんばんは。

長女は赤城山心中で話題になりました。
浩さんの苦悩はいかほどだったでしょう。

ここは実に落ち着く家でした。
見えないところに贅をこらしているようで、
新婚のお二人が偲ばれる思いです。

不思議なことに平日は誰も訪れなくて、
今ではナンテイの別荘のように振る舞っています(^^ゞ

それぞれの家系図や、その生涯のことを読むと、
なんとも言えない気持になります。
  1. 2016/03/04(金) 18:33:40 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
mimihaさん。
こんばんは。

とても静かな環境で、しかも訪れる人が少ないものですから、
お二人の暮らしを想像しながら、心ゆくまで過すことができます。
私にとっては最高の散歩コースになっています♪

その日曜美術館、私も観ていました。
酷い話でした。

浩さんご夫妻の深い愛情を見るたび、何度も感動したものです。
僅かな間の平穏でしたが、ほんとうに良かったですね。

たいした写真でもありませんし、また拙い文章ですが、
嬉しい感想をいただき、ありがとうございました^^
  1. 2016/03/04(金) 18:53:31 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
こんばんは!
薄傑氏と浩さんの事も新聞などで
知って居ました。
ご夫婦は、国策のための政略結婚だそうですが
ようやくあえて睦まじく
お暮しの様で安堵したのを覚えて居ます。

天城山心中は、余りにも有名で
諸説ありましたが、映画や本にもなりましたね。
若い二人がピストル心中でしたね。
この事件での薄傑ご夫妻の心痛さを思います。

雪が無くて梅が咲いて・・
近くに素敵な日本家屋があり、由緒正しい神社があり
千葉の良いとこだらけを拝見して
羨ましく思って居る・・北国の婆です。(*'▽')

  1. 2016/03/04(金) 22:12:57 |
  2. URL |
  3. りまど #-
  4. [ 編集 ]
みやこ草さん。
こんばんは。

いいところですよ。
しかも入場無料^^

表から見ると普通の家に見えますが、
中はさりげなく凝った造りでした。
ここで暮らしたのが僅か半年というのは、勿体ないですね。

この家に来るたび、いろんなことを考えさせられます。

ライラックを植えているのですか?
この家ではどうだったか判りませんが、
咲いたら溥傑さんと浩さんのことを、
思い出してくださいますよう^^
  1. 2016/03/04(金) 22:13:55 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
こんばんは。
とても心打たれるお話でした。
人の幸せって、何だろうと考えさせられました。
形だけの結婚それも国籍が違うお二人が、
次第に深い愛と信頼を深めていくこと、感動の思いで読ませていただきました。
激動の歴史にもてあそばれる度に、強く結ばれたお二人。
さぞお辛いことだったと思う反面で、眩しいような光を見た心地です。

ああ!このお住まいのなんと清らかなこと。
いつまでも大切に残していただきたいと、思わずにいられません。

美しい画像と物語を、ありがとうございました。
  1. 2016/03/04(金) 22:50:22 |
  2. URL |
  3. マルタ #-
  4. [ 編集 ]
Tokuさん。
こんばんは。

とても歴史的な建造物なのに、殆んど目立たないし、
訪れる人も少ないようです。
仰るように古くは都心に最も近い海水浴場でしたし、
別荘地でもありました。

よく通ったという国道14号線は、砂浜だったわけです^^

思うにこの住まいは、あまり騒がれたくないという二人の願い、
そしてその願いに適う設計をした工人の成果なんでしょうね。

外観は質素で、内はほどよく華麗に・・・。
そんな気がしたのですが。

月見の宴ね~。
陳情してみましょうか(笑
  1. 2016/03/04(金) 23:39:25 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
こんばんは
あいしんかくらって、聞いたことはありましたが
こんなに詳しくしりませんでした。
波乱に満ちた人生で、最後を迎える前に
一緒に過ごせたことは救いでした。
変動の時代を生き抜いた二人の愛情物語、なんてドラマチック!
お宅も保存されているのですね
若き日のお二人の生活がしのばれて・・・。
眺めていると確かにいろんな感慨にふけるでしょうね。
紹介してくれてありがとう!
  1. 2016/03/05(土) 00:24:59 |
  2. URL |
  3. ミニヨン #i26xsFIQ
  4. [ 編集 ]
こんにちは
愛新覚羅さんのお名前は、戦争に翻弄された方、
最後の皇帝に繋がる方としてお聞きしたことが有ります。

それにしても師匠はお話が上手ですね。
かくも涙のお話をさらっと述べることが出来るのですから。

池から一歩も出たことが無い鯉には、
戦争にまつわるお話が、ご夫妻の悲話がつろうございます。




  1. 2016/03/05(土) 05:32:43 |
  2. URL |
  3. いけの鯉 #-
  4. [ 編集 ]
りまどさん。
こんにちは。

テレビでも紹介されて、よく知られるようになりましたね。
上のお嬢様のこと、なにか宿縁のような気がします。

ここはあまりにも穏やかで、
ぼーっとした人間が多いです(笑

それはナンテイだけか(^_^;)
  1. 2016/03/05(土) 10:13:00 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
マルタさん。
こんにちは。

溥傑さんはなかなかの人格者で、
浩さんへの心配りが並みではなかったようです。
浩さんもきっとすぐに信頼を寄せたのでしょうね。
最後の何年かを、穏やかに過すことが出来て、
本当に良かったと思います。

ここへ来るたびに、なんか洗われた気持になるのです。
日本人にとって、忘れてはいけない歴史。
そのためにも大切に保存してほしいものですね。

お優しいコメント、ありがとうございました。

  1. 2016/03/05(土) 13:17:37 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
ミニヨンさん。
こんにちは。

清朝を起こした一族はその後皆、愛新覚羅を名乗っています。
溥傑は早くから日本で育ち、士官学校を卒業しました。
そのままだったら、日本軍人として生涯を終えていたでしょう。

しかし、異国人であることは間違いないわけで、
当時の日本帝国にとって、利用価値のある存在だったことは間違いありません。
満州帝国の建国によってやはりその運命は狂わされたのです。

それでも浩さんへの愛、また浩さんの溥傑への愛は、
揺るぐどころかますます強固になったようです。
この物語は単に二人の愛の話だけではなく、
日本と中国について改めて考えさせられる事柄でもあると思います。

それにしても、非常に気持のよい住まいでした。


  1. 2016/03/05(土) 13:32:12 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
いけの鯉さん。
こんにちは。

愛新覚羅、溥儀そして溥傑兄弟。

ナンテイは違う漢字で覚えていました(^_^;)
どんな漢字なのか、不敬にあたるので言えませんが(>_<)

私の記事には必ずカンペがあるのでして、
そういう技だけは子供の頃から長けておりましたです(’▽‘)

戦争にまつわる話、もっともっと酷いものがたくさんあります。
ただ最近は老人力がついてきたのか、忘却甚だしくなりまして・・・

鯉こくを食べたい!その一心で生きております。

  1. 2016/03/05(土) 14:02:34 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2016/03/05(土) 20:56:18 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]
稲毛に?そうでしたか
夫の会社の社宅が稲毛にあり
そこから自宅を構えた友人が何人かおりますので
何度か訪ねたことはありますが
このお二人のゆかりの家が稲毛にあったと言うのは存じ上げませんでした
歴史的に有名なこうした場所に散歩の途中に立ち寄れるなんて
羨ましいですね
あ、でも近くにあっても気づかない方もいらっしゃるかもしれませんね
  1. 2016/03/05(土) 22:10:17 |
  2. URL |
  3. Hulaさん #amXlFcx2
  4. [ 編集 ]
この方々のことは多少は知っておりました。
数奇な運命の…と思っておりましたが、この建物のことを知り、
素晴しい日々を過ごしていらしたこともある、そういう風にも感じました。
昭和初期の建物が美しく残っているのも良いですね。
  1. 2016/03/05(土) 23:04:40 |
  2. URL |
  3. Yukuko #T2PFTBgw
  4. [ 編集 ]
鍵コメさん。
おはようございます。

拙い文ですが、お読みいただきありがとうございます。

句の下五は曖昧すぎました(汗

結局うまく説明できないわけで、ご想像にまかせるしかないです。
その程度の南亭です(^_^;)
  1. 2016/03/06(日) 08:43:07 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
Hulaさん。
おはようございます。

稲毛にお住まいでしたか。
それは驚きです!

ここは目立った看板も出していませんし、
細い脇道にあるので気がつかないのでしょうね。

散歩コースにあるのは有難いことです^^
本当は横浜を散歩できたら、言うこと無いのですが。
  1. 2016/03/06(日) 08:56:41 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
Yukukoさん。
こんにちは。

お嬢様のことも含めて、数奇な生涯でしたね。
この家には僅か半年ですが、いちばん幸せな時が詰まっているような。

質素に見えて、なかなか凝った造りになっていました。
さりげない贅沢というのでしょうか・・・
そういう造作を見るのも楽しい家です^^
  1. 2016/03/06(日) 09:04:13 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
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管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2016/03/06(日) 09:53:57 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]
今日の鍵コメさん。
こんにちは。

ここは、あまり知られてないみたいですね。
よく保存されていたものだと思います。

婉容さんはアヘン中毒で苦しんだと聞いてますが、
夫の溥儀氏は弟に比べて冷たい人だったそうですね。

そういうことでも、不幸な女性だったに違いありません。
  1. 2016/03/06(日) 18:10:47 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
  4. [ 編集 ]
あ、いえ・・・稲毛に友人が住んでいるのです
横浜の別所社宅時代の友人が
海外駐在から帰国した時に運良く入れた・・と言うくらい
憧れの広い社宅だったんです
社宅から出られる方も皆さん稲毛にマンションとか戸建を買われましたね~
良いところですよね

すみません、紛らわしい言い方でしたぁ
  1. 2016/03/07(月) 21:19:42 |
  2. URL |
  3. Hulaさん #amXlFcx2
  4. [ 編集 ]
Hulaさん。
あ、私こそ勘違いしてたかもです(^^ゞ

そうですか、稲毛の社宅はそんなに憧れだったのですね。

ただ、現在のステータスは幕張新都心に移ったようです。
航空会社の社員も多いとか・・・。
何度かその「ベイタウン」を訪れましたが、
とても千葉とは思えないほど《ハイソ》な雰囲気に、
ひるんでしまったものです(^_^;)

わざわざのおことわり、ありがとうございました^^
  1. 2016/03/07(月) 22:35:27 |
  2. URL |
  3. NANTEI #8g7ZE2Jk
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