生誕90年 2017年03月19日 美術 トラックバック:0コメント:28

加山又造展。
加山又造は、革新的日本画家として戦後の画壇に新風を吹き込む一方で、
截金など古典技法の研究も深めるとともに、
多摩美術大学、東京藝術大学で教鞭をとるなど指導者としても大きな功績を残しています。

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その加山又造生誕90年を記念する展覧会が、日本橋高島屋で開催されました。
日本画、それも大家の展覧会に訪れることは滅多にない私ですが、
たまたま知人から鑑賞券を頂いたので、3月吉日、日本橋へ出かけたわけです。

日本橋は2年ほど前から再開発が進められ、
〔COREDO〕をはじめ新しい高層ビルが続々と誕生していて、
「お江戸日本橋」の面影がどんどん失われています。

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そんな光景にも関心があって、やってきた高島屋ですが矢張り目を瞠るような変わりようです。
高島屋が押しつぶされそうなほど、左右に高層ビルまた裏手にも・・・。

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しかし、百貨店建築として初の重要文化財となったという、この重厚な空間。
なんとも、いいものですね!

さて「加山又造展」です。

加山又造1

日本画を専攻しながらも、当時ヨーロッパのキュービズムに心酔した若き加山又造は、
動物、特に馬をモチーフとした実験的な作品を多数発表していますが、
これは全く知らなかったことですから、非常に興味深く鑑賞したものです。

加山又造2

そんな加山も、四十代から伝統的な様式美を追求するようになり、
名作「淡月」などの画境に至るのですが、

加山又造3

猫好きでもあったようですから猫の作品も多く、そのいずれもいきいきとした躍動感と生命感に溢れた傑作揃いです。
この「猫」という作品、会場ではいちばん人を集めていたようです。

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日本橋、もうひとつの目的は高島屋から、ひとつ離れた脇道にあるこのビルです。
〔ぶよう堂〕という地図専門の書店が、この地下にあります。

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あらゆる地図、それも畳二枚を超えるほどの大きなものも含めて、
地図に関心を持つ方たちには、またとない書店なのでしょう。

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本体は〔武揚堂〕という地図の制作と印刷の会社で、
目黒にある工場を見学させていただいたことがありますが、
地図を制作してゆく過程の息詰まるような緻密さに、こちらまで緊張したことを記憶しています。

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日本橋界隈は急激に変貌しているといいましたが、
裏通りにはまだ古い大正・昭和の光景が残っています。

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その中でも極めつけはここでしょう。あなご専門店『玉ゐ』。
この「ゐ」がまた粋ではありませんか。

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評判の店とあって表で待つお客が絶えません。

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やっと店内へ。ここの人気メニューだという穴子の「箱めし」を注文しました。
焼き穴子はふわふわの食感で、しかも濃厚な旨みが溢れ出てきます。
それでも鰻よりは脂が少ないので、しつこく感じないのですね。
たいへんけっこうでした!

ともあれ、高層ビルに挟まれながら、こういう古民家が生き続ける。
是非、そうあってほしいものです。



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木更津から 2017年03月17日 料理(和) トラックバック:0コメント:24

「海草は体にいいんだってね~」「そうかい」
くだらない小噺だねー、まったく!
しかし海草はヨウ素やカルシウムなどのミネラルがいっぱいだそうで。
肝臓の病や高血圧の予防にもいいらしいですな。

海草といえば、毎年春先になりますと木更津から生海苔が届きます。
すぐ佃煮にしますが、仕上げる過程も楽しいのでございますよ。

生海苔というのは、もともとが茶色い。
それをよく洗って鍋で煮詰めてゆくと、緑色に変わってゆきます。
さらに加熱しますと漆黒といいますか、艶のある真っ黒な佃煮が出来上がるのでして。
まるで化学実験のようなひとときでございます。

海草A

その黒くなりかけのころ、麺つゆで味付けをしてゆきます。
小匙一杯づつ、味を確かめながら麺つゆを加えてゆきますが、
生海苔は洗っても海水の塩気が相当残りますので、塩加減が難しいのですな。

海草B

ともかく出来上がった佃煮は、市販の物など比べ物にならないほど美味しい!
もっとも、海苔の佃煮といえば「江戸紫」しか口にしてませんから、
独りよがりというやつかも知れませんが・・・。

せっかくだから海草づくしといこうじゃありませんか、ね!

海草C

海草といえば「南亭」では定番の《ひじきの炒め煮》。
このままおかずとして頂くのもけっこうですが、あつあつのご飯に混ぜて《ひじきご飯》てえのも、オツなもので・・・

海草D

もう一つは《ワカメとほうれん草のナムル》といきましょう。
水で戻したワカメとほうれん草を適当に切って塩、顆粒鶏がらダシ、ゴマ油で和えた韓国風でございます。
上からぱらぱらとシラスを散らしますと、美味しそうに見えるんですな!これが・・・

海草E

海草ばかりじゃお金が取れません。なので最後に鯖味噌とまいりましょう。
鯖味噌??馬鹿にしちゃあいけません、居酒屋「南亭」が五年前から試行錯誤の末・・・
いいですか試行錯誤ですよ!その末に行き着いた逸品なのでございます。

お客さんには非常に好評でして、「下手な鰻よりうめえや」なーんて言ってくださる有難い方もいらっしゃるほどで。

海草F

ところで、昔から海草は髪の毛によい、発毛効果があるなんて聞いていたもんですから、
後頭部がすーすーするようになった頃、昆布や若布をしきりに食べるようになったのですね。

ところがですよ、ずっと後のことですがテレビで、
『海藻類だけを大量に摂取したところで髪が生えてくるわけではありません。
どちらかというと髪を生やすというよりも、ツヤのある健康な黒髪を生成させる効果のほうが高い食材といえるでしょう』
なーんてことを抜かしているではありませんか。

なんでえ!せっかく大量の昆布・若布を買い貯めたってえのに、どうしてくれるんだ。
するとカミさんがすかさず、
「頭に乗っけりゃいいじゃないのさ」


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ミモザ 2017年03月15日 漫歩 トラックバック:0コメント:30

MIMOSA2017

三月八日はミモザの日 

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ミモザサラダをつくりませう まづは卵で炒りたまご 

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ほうれん草の一束と ハーフベーコン四枚ほど

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フライパンにオリーブ油 ベーコン炒めてかりかりに

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ほうれん草のざく切りを 加えてお酢と塩胡椒

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お皿に盛って先ほどの たまごをほろほろ散らしませう

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まるでミモザの一房を お皿に乗せてきたやうな

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まさしく春のサラダです


3月8日は国連が決めた「国際女性デー」です。
1904年3月8日にアメリカで女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけで、
1910年にコペンハーゲンの国際社会主義会議において、
「女性の政治的自由と平等のために戦う」日と提唱したことから「国際女性デー」と制定されました。

イタリアではこの日、「フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」とされ、
男性が日ごろの感謝を込めて、母親や奥さん、会社の同僚などにミモザを贈ります。
このことから「ミモザの日」とも呼ばれるようになったそうです。

今年も無事に千葉港の、大ミモザの姿をお届けすることができました。
私は・・・、健康に感謝です。



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2017年03月13日 俳句 トラックバック:0コメント:24

最後の粋人。

出版社に送られた氏の原稿からはいつも、ほのかに良い香りが漂ってくるという。
編集者が氏に尋ねたところ「はてね?」と笑う。
お嬢さんが横合いから「父はずーっとシャネルを使っているんです」
氏は照れて「汗を掻きそうなとき、たまにです」

身の回りにあるのは全て趣味の良いものばかりだが、そのさりげなさが実に粋で、
また新地のクラブでも京都のお座敷でも《ふわり》という形容がぴったりなほど自然体だと誰もが言う。
そういえばご子息が大学入試に合格したお祝いに、新地の高級クラブに連れていったとか。

小学生のころから俳句をはじめ90歳を超えてもなお現役の俳人でありつづける氏は、
上方の艶麗さと洒脱さを併せ持つ”最後の粋人”である。
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ILLUSTRATED BY NANTEI
その人とは俳句結社「諷詠」の名誉主宰・後藤比奈夫氏。

後藤比奈夫の句は、対象の把握の仕方と言葉の斡旋が独特である。
独特といえばそのユーモアも、後藤氏ならではのものがある。
身の回りに存在する真実を掘り下げてゆくと、それはときに滑稽なものになるのかも知れない。
後藤氏の句は、そういうことも気付かされるから面白い。

和紙

その後藤比奈夫は、俳句についてこう述べている。

俳句は文学ではないと私は考えています。文学ではなくて、
美術、絵画、彫刻といった芸術に近いと思っています。
書いても読んでも文学というより空間芸術に近い。
俳句の時間は多くは止まっているもので決して流れていない。
そこに文学的要素を入れると流れてしまい、俳句として弱くなります。
俳句は絵を見るようにきちっと作らなければいけません。
そして俳句は心で作って心を消し去るものだと思います。


たしかに俳句は動画ではなく、スチールだ。
事物を切り取って五七五に定着させる表現方法は、写真と相通じるものがある。

また最近、こんな話をしている。

齢も九十を越えると、思いがけない体力の消耗に気づく。
体力ばかりでなく体の機能も同じである。
昨日まで分かっていたことが急に分からなくなったり、
今まで出来ていたことが急に出来なくなる。句作りにとっては致命傷。
それに負けない為に、私は心を大らかに平らかにして、くよくよしないことと決めてしまった。


昨年詠んだ句は、まことに大らかで平らかそのものではないか。

つくづくと寶はよき字宝船

後藤比奈夫は今年100歳になる。


恥ずかしながら、句集というものをしっかりと読ませていただいたのは、
この後藤比奈夫氏の「庭詰」と「沙羅紅葉」が最初で最後(もしかして)である。
しかも図書館から借りてのことであるから、俳句への志がいかに低いかお分かりであろう。


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あれから6年 2017年03月11日 3・11 トラックバック:0コメント:6

再稼動続々。

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津波で壊滅の宮城県気仙沼
ILLUSTRATED BY NANTEI

東日本大震災からひと月後の4月26日、中曽根元首相は新聞社のインタビューでこのように話しています。

─福島の原発事故で東北が放射能の危険に脅かされています。
「地震による被害だけなら、これほどの大事故にはならなかった。津波が大きかった。
今後、原発を作る場合は立地が大きな問題になる」


─原発は炉を冷やすために大量の水が必要です。それで海辺につくってきた経緯があります。
「湖の水を使うなら内陸もあり得る。ただ、事故があれば、湖に放射能がたまる心配がある。
川の近辺も危険があるし、下流が心配する。やはり海辺だ。要は津波対策をどうするのか。
海の近くにあって、津波がこない丘の上につくればいい」


中曽根氏は戦後、一貫して原子力を推進してきました。
戦後日本の最大の問題はエネルギーでした。石油もなく石炭も貧弱。ガスも出ない日本が、
敗戦から立ち直り、独り立ちするにはエネルギーをどう確保するのかが大命題でした。
中曽根氏たちが着目したのが原子力だったのです。

日本初の原子力予算や原子力立法にかかわり、東海大学を設立した社会党の松前重義氏らとともに、
超党派の原子力合同委員会を設置して、委員長になったのが中曽根氏でした。
そして昭和38年10月26日、東海村に建設された動力試験炉で日本発の原子力による発電が行われました。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっているわけですが。

─原子力には重大事故のリスクがつきまといます。事故の心配はしなかったのですか。
「そこは厳重に管理をし、地震などの自然災害に対抗できるよう、原子力政策を進めてきた。
法的整備も含め、注意深く進められてきたと、私は思う。
今までは小さな原発事故はあったが、原子炉から放射能が出るといった大事故はなかった」


─今回は想定を超える事態だったと言った東京電力が批判されていますが。
「想定というものは、これからはもう、なくさないといけない」

─原発事故では放射能が漏れ出し、周辺住民が避難させられました。海にも汚染水が流れ、風評被害もあります。
原子力を進めてきた立場で、これだけ大きな被害が出たことをどう考えますか。
「周辺の住民には非常に大きな迷惑をかけた。自分の生活はもちろん、
子供の将来にまで影響が出るようになったことは、本当に遺憾千万だと思います」


─今後も日本に原発は必要なのでしょうか。
「大変な被害を受けたけれども、今度の事故を点検し、これを教訓として原発政策は持続し、推進しなければならない。
国の前途、日本のエネルギーを考え、今回の災害や困難を克服し、雄々しく前進しなければならない。
世界の大勢は原子力の平和利用、エネルギー利用を否定してない」


中曽根氏たちは、日本の復活のために原子力を選択しました。
異を唱える政治勢力は強力にならず、原発は《国策》として進められたのです。
国策の前には多少の犠牲も仕方ないという、為政者の思い上がりは昔も今も変わりありません。

もう一度、中曽根氏の言葉を振り返ってみましょう。
「津波対策をどうするのか。津波がこない丘の上につくればいい」
原発が悪かったのではなく、立地に問題があったとは、ずいぶん本質をすり替えた話ではありませんか。
そして、周辺の住民には迷惑をかけたと言いながら「遺憾千万」の一言で済ませています。
「遺憾」には謝罪の意味がまったく含まれてないのですから、
原発政策の決定者として実に無責任きわまる発言ではないでしょうか。

この「遺憾」の遺伝子はそのときどきの為政者に色濃く受け継がれているようです。
そして政治家の大義というものも実に矮小化してきました。
はっきりいいますと、政治家の大義とは選挙に勝つこと。それ以外にあるとは思えないのです。

その如実な現れが与党、野党の「脱原発」に対するスタンスでしょう。
電力業界から多大な献金を受けている自民党は論外としても、エネルギー政策に楔を打つべき野党最大の民進党。
原発について煮え切らない党内事情は、そもそもが民主党時代から電力総連の応援を受けているからです。

現民進党議員の約30名は電力総連の応援を受けての当選です。
蓮舫代表、野田幹事長、枝野、細野氏など主だった議員もそうです。
どうして「原発反対」と言えましょうか。

反原発運動の大きなうねりも、2012年7月の代々木公園10万人集会をピークに、大きく後退していきました。
と同時に東日本大震災も風化の一途を辿っています。
昨年の熊本大地震にしてからが、本州ではすでに遠い記憶になりつつあります。

そして国民の原発アレルギーが軟化しつつあるのを見透かしたかのように、
川内、伊方が再稼動し、美浜、玄海など20箇所が再稼動準備中または申請中という昨今。
まことに「遺憾千万」というしかありません。



いつの日か「あれから三十年」となるそのころ風はきれいだろうか
美原凍子


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