伊太利庵 2018年02月08日 料(洋) トラックバック:0コメント:24

鶏肉とアボカドのソテー・猟師小屋風。

アボカドといえば、まずサラダを思い浮かべますが、
アボカドを加熱するというと、不思議な顔をする方も多いようです。
ところがこれが生よりねっとりとした濃厚な味になるのです。

「鶏肉とアボカドのソテー・猟師小屋風」のその猟師小屋ってなんだ?!
という声もちらほら聞こえましたが、それはその・・・むにゃむにゃでございまして。

その猟師小屋風ですが。
材料は、鶏腿肉150g程度、アボカド1個、パブリカ1個(赤のほうが華やかです)、しめじ半パック。
鶏腿肉は一口大、皮をむいたアボカドも一口大、パブリカは適当に切ります。
しめじは石づきを取って、大きいものは縦半分に。

先ず鶏肉をオリーブオイルで炒めます。
軽く塩胡椒して中に火が通ったと思われるころ、パブリカ、しめじを加えてください。
パブリカ、しめじがしんなりしてきたら初めてアボカドを投入します。
再び軽く塩胡椒。具材をよくかき混ぜて弱火で加熱したら出来上がり。

鶏アボカド

もうこれだけでワイン、ウィスキーのお伴には十分かと。

鶏アボカドA

ブロッコリーと小海老のサラダです。
茹でたブロッコリーと海老にドレッシング。

鶏アボカドB

もぐりとはいえ伊太利庵とあるからには、パスタもお出ししなけりゃね。
ほうれん草とベーコン、ニンニク塩味の、最もシンプルなオイルソースパスタでございます。

鶏アボカドC

南亭のドレッシングはオリジナルです。
オリーブオイルとAjinomotoの「やさしお」を小瓶でよくシェークします。

これに粒マスタード、あるいは柚子胡椒をブレンドしたり・・・
すりおろしたニンニクを小匙半分ほど加えたら、すっかりイタリアン。
市販のドレッシングはけっこう厚化粧ですから、
減塩はもちろん、あっさり味を好む南亭世代にはうってつけではないでしょうか。


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十七文字の風景(1) 2018年02月06日 俳句 トラックバック:0コメント:22

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セコ蟹はせいこ蟹、また金沢では香箱蟹とも呼ばれている「ずわい蟹」の雌です。
雄のずわい蟹に比べると半分にも満たない大きさなので、
表日本へ出荷されることは殆どなく、たいがいは水揚げした地元で消費されていました。

富山に住んでいたころは、近辺でただ一軒の八百屋兼雑貨屋でも、
冬になるとそのセコ蟹が店頭に並べられていました。
一笊に四・五はい盛ったのが、たしか当時の値段で二百円前後だった気がします。

今の価格でいうと千五百円ぐらいでしょう、そうすると一ぱい二・三百円ですか。
ともかく現在では信じられない値段で、雌とはいえ「ずわい蟹」を堪能できたわけです。
関東に住んでからは、当然ですがセコ蟹を見たことがなく、
目の玉が飛び出るような高いずわいを横目で眺めるばかりでした。

年に二三度、金沢の叔母を見舞う機会をこれ幸いと、
近江町市場でセコ蟹を求めるのがなによりの楽しみでしたが、
その叔母も亡くなって、セコ蟹は幻の味になってしまいました。

しかし近年になって、セコ蟹がこの辺りでも目に付き始めました。
もともとセコ蟹は金沢の料理屋などで、旅行客には人気の珍味だったのですが、
いつしか東京の料亭あたりで供されるようになったのでしょう、
その後一般市場でも扱われるようになり、セコ蟹の美味しさが徐々に認知されてきたようです。

セコ蟹のどこが美味しいかって、産卵期のお腹にある外子のぷちぷち感と、赤い内子の深い味わい。
そして濃厚な味噌は、どんな食通も黙らせるに違いないと思うのです。
脚は細いのにみっしりと身が詰まっていて、その上質な甘さは雄と比べものになりません。

セコ蟹の漁獲期は11月初旬から12月いっぱいの、わずか二ヶ月。
こうして書いていると、旬を逃した悔しさで身悶える思いです。


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国立科学博物館 2018年02月04日 歴史 トラックバック:0コメント:22

アンデス文明展。

上野公園にはまだあちこちに残雪が見受けられる。

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大河ドラマで「西郷どん」が始まった影響か、西郷像の前にはこれまでなかった人だかり。

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上野公園の奥、国立科学博物館で「アンデス文明展」が開催されている。
古代文明に強い関心のある私としては、是非見ておきたい展覧会だ。

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しかし「アンデス文明」イコール「マヤ・インカ文明」と錯覚していた私には、衝撃的な展示だった。
勉強不足もいいところである。
まずインカ帝国の発祥は12世紀のことであり、
アンデス山脈の北部に興った最古の文明は紀元前3000年頃のカラルだという。

カラルからは巨大な神殿跡が発掘され、エジプト、メソポタミア、インド、中国と並ぶ最古の文明と位置づけられた。
次いで紀元前800年頃にはチャンピ文化、そして紀元前後のモチェ文化、地上絵で有名なナスカ文化と続く。
その後幾つか王国の消長を経て、アンデス一帯を征服したのがインカ帝国であった。
つまりインカとはアンデス文明の集大成のような国家だったのである。

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アンデス民族は海を渡ってきたモンゴロイドだという。その典型的な顔が左上の胸像だろう。
陶磁器においては動物や栽培植物、怪物や精霊など、独創的な形象壺が作り出さ れた。
右下は細かな織りのチュニック。

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アンデス文明といえば、なんといっても豊富な黄金である。
不思議なことにアンデスの人々は鉄を製造しなかった。
また、利器として青銅はほとんど利用されることはなく、実際には新石器段階に近かったが、
金や銀の鋳造は発達していたのである。

この「エルドラド(黄金郷」を目指して、スペイン人フランシスコ・ピサロの一隊が南米を侵略し、
1532年ついにインカ帝国を滅ぼして、スペイン領とした。
インカ帝国の滅亡によってアンデス文明も終焉を迎えたのである。

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アンデス文明では鉄、銅製品がなかったと書いたが、もうひとつ、文字を持っていなかったことも驚きである。
これは、旧大陸の四大文明や新大陸のメソアメリカ文明とは異なる最も大きな特徴だという。
代わりに縄の結び目で情報を記録するキープというものがあった。

単純な結び目だけの連続はもしかしたら、01の組み合わせだけで情報を扱う、
デジタルの原型ではないかと思ったりもした。
いまさらながらだが、知らないことは星の数ほど夥しい。

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上野に出ると必ずアメ横に立ち寄ってしまう。

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この時期にしては比較的暖かな日中だったが、夕暮れともなると突き刺すような冷気が襲ってくる。
身体を温めてから帰ろうと、飲み屋街を覗く。

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アメ横から離れた路地に、これは?と思う店を見つけた。クシヤキ酒場「ヤリキ」。
こういう寒いときは刺身より熱々の串がいいに決まっている。
まだ開店したばかりと見受けられて、いささか誘惑される。

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さっそく焼酎お湯割りと定番の牛煮込み、それと「当店一押し」という、たんあぶり刺しを注文する。
煮込みというのは、よほどでなければ不味いということはない。
お湯割りと煮込みでぬくもりが戻ってくる。

問題のたんあぶり刺しである。一押しと謳うだけあって香ばしさとたんの濃厚な旨み、
そして程よい歯ごたえには一瞬手が止まってしまった。

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さらなる一品はエリンギの串焼きである。
たぶんエリンギを一旦軽く焼いてから、焼き鳥のタレにくぐらせて更に焼いたのだろう。
タレの旨さと鶏腿に似た食感は、目から鱗であった。

若い衆の接客も心地よく、なにより料理の工夫が好ましい。
「ヤリキ満々」の居酒屋である。


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こんな筈では 2018年02月02日 歴史 トラックバック:0コメント:20

将軍はつらいよ。

みなさん、江戸時代の将軍はどんな生活をしていたと思いますか。
上座にふんぞり返って「よきにはからえ」とか、山海の珍味と美女に囲まれて鼻毛を伸ばしているような、
そんな姿ばかり想像してしまうのではないでしょうか。

ところがですね、これが現代のサラリーマンより束縛が多くてしかも多忙なのです。
その一日を追ってみましょう。

(午前6時)
起床。小姓たちが着替えさせてくれる間に立ったまま歯を磨きます。
(午前7時)
仏間でご先祖さまを礼拝、読経。
(午前7時半)
離れた部屋に居る御台所(奥さん)へ挨拶。
(午前8時)
食事。同時進行で頭と髭を剃られ健康診断も。その間身体を動かさずもくもくと食事をとります。
(午前8時半)
神殿に礼拝。
(午前9時)
学問。当代一の学者から四書・五経、兵法、漢詩・和歌、習字などを教わります。
(正午)
昼食。
こうして午前中が終わるわけですが、もうこれだけで疲れそうです。
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(午後1時)
政務。山積みにされた未決済の書類を側用人が読み上げ、裁可します。
多い時は残業になることも。
(午後4時)
武技。剣、槍、弓、乗馬、水泳などの武芸をみっちり。
(午後6時)
入浴。
(午後7時)
夕食。小姓たちが無言で給仕します。お酒は少々付きますが話し相手の無い寂しい晩酌です。

ちなみに将軍の料理はまず毒見役が味わい、しばらく待って毒のないことを確認します。
それから長い長い廊下で運ばれ、控えの間にて再び炭火で温められるとまた毒見です。
お女中が念入りに盛り付けをしてやっと将軍の前に出る頃は、すっかり冷めているわけでして。
なんと料理が出来てから将軍の口に入るまで約2時間かかったといいます。
生涯温かい料理を口にしたことがなかったのでしょう。逆に料理が温かいとお腹を壊したりして・・・
(午後8時半)
昼の政務で残った未決書類の裁可を終わらせます。いわゆる残業ですね。
(午後?時)
就寝。?時というのは残業次第で何時になるか判らないということです。
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ILLUSTRATED BY NANTEI

これ休日無しの日課ですからね。
毎晩大奥でナニしているんだろう、などとやっかまれていますが、
そんな体力が残っている筈ないでしょう。

つくずく将軍にならなくて良かったと思います。
ま、中には適当にさぼっていた方も多いようですが、
十四代の家茂さんは真面目にこの日課を実践したため、21歳の若さで亡くなっておりますです。


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八重洲で飲む 2018年01月31日 酒場 トラックバック:0コメント:20

酒場漂流記(七の巻)。

月曜日夜のBS-TBSに「酒場放浪記」という番組がある。
俳人でもある吉田類氏が、東京を中心に各地の酒場を巡るという内容で、 酒呑みには垂涎の番組である。

かくいう私も現役時代は放浪三昧だった。
出張が多かったせいもあって、全国さまざまなところで居酒屋の暖簾をくぐっていた。
定年後は一変、夜の巷に出ることは滅多になくなり、ひたすら家呑みの爺さんになってしまった。
それでもなんだかんだと理由をつけては年に数回、ネオンを浴びに出かけているが、
往時に比べるとそう遠くもない酒場と酒場の間を、何ヶ月もかけて漂流しているようなものである。
その侘びしい漂流の軌跡をご覧になっていただきたい。

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今回は八重洲飲食街の漂流である。
ここは新橋と並んでサラリーマンのオアシスと言われている。
丸の内側の近代的な風景とは対照的な、昭和の匂いを濃厚に漂わせる一大飲食街。

露地露地には半世紀以上にわたって、
それこそ天文学的な人数の勤め人たちを酔わせてきた酒場が、未だに健在なのだった。
そういった露地の一本に今や伝説の酒場となった店がある。

八重洲D

昔はそんな有名になるとは思わず、同僚とハシゴの締めくくりにくぐった一軒である。
「ふくべ」という瓢箪の別称を屋号に持つ大衆酒場だ。
いつ行ってもびっしり満員で、無理やり詰めてもらったカウンター席(といってもベンチのような椅子だが)の、
肩と肩がくっつくような、そんな窮屈きわまりない場所で飲むわけだが、
肩触れ合うもなんとやら、飲むにつれてどちらからともなく言葉を交わすようになる。

「先輩はこの近くにお勤めで?」「いやだいぶ離れておりますが、あなたは?」
「大坂です~、最終の新幹線で帰るつもりですわ」「そりゃまた遠い!」てな具合で・・・

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ご覧のように店内には至るところ全国の酒が並べられている。

八重洲F

寒い冬は「浦霞」「一ノ蔵」といった東北の酒を、夏はさっぱりとした西の酒「梅錦」「李白」などを選べるのが嬉しい。

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どうしても席が空かないときは、歩いて数分の地魚屋台「豊丸」を目指す。
名前のとおり新鮮な魚介が豊富に揃った居酒屋である。

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しかも桜鯛刺しが三百円、まぐろ赤身が四百円と非常にお安い。
お酒二本と魚介三品頼んでも、二千円前後で飲めるというわけだ。
(写真は中トロと平目の昆布〆)

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ちょっと飲み足りないかな、と思った時は昭和26年からやっているバー「BLICK」に立ち寄る。

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年代を経た床やテーブル、その木材の艶がまことに心地よい。

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さらに驚くのは「トリス」が置いてあることだ。
洋酒の洗礼を受けたそもそもが、このトリスだったわけで、
今になってみると熟成の足りない角のある液体は、ただただ酔うために飲んでいたような、
そんなチープな時代を代表するようなウィスキーだった。

しかし40年ぶりに飲むトリスも、まんざらではない。
シングルのストレートを二杯あけると、ヤクザな酔いが一気に襲ってきた。


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